坂本から君へ

さかもとのブログ。自分語りとか世間話とか。大阪にいる。

他人の日記を覗き見る時の背徳感

今年の春頃から、はてなブログの購読機能をよく使うようになった。

ネットをふらふらと徘徊していて、ちょっと気になるはてなブログを見つけたら、あまり深く考えずに「読者になる」ボタンを押して登録してしまう。この半年ほどで、100ブログほどは登録しているような気がする。
一度登録したブログはその後、更新があがってくる度に必ず読むようにしている。
特定のブログを定期的に読み続けるのは、ホッテントリに上がってくるようなパンチの効いたエントリーを単発で読むのとはまた違った感触があって、これはこれで味わい深いものだ。ブログというものを「点」ではなくて「面」で捉えているとでも言えばよいのだろうか。
とにかく、そういう習慣がこの半年ほどですっかりと身についてしまった。

 

 

それだけ多くのブログに毎日目を通していると、時々ふと自分の悪趣味な内面に気づいてしまうことがある。
僕は、人間の心の闇の部分、内面の奥深くを余すところなくさらけだしているようなブログが好きで、例えば有名なものだと、はしごたんのブログがそんな感じだ。彼女の文章には、好むと好まざるとに関わらず、否応なしに人の心を引きずり込んでしまうようななにかがあって、いつもダークなエントリーがアップされる度に身悶えしてしまう。

 

 

他にも、別に有名なブログではなくても、惹かれているものがいくつかある。
なかでも僕のお気に入りは、20代の普通の会社員の女性が書いている婚活ブログだ。婚活ブログと称してはいるが、その内容は、最近別れた恋人へ憎悪のこもった呪詛の言葉をひたすらつぶやきつづけるという恐ろしいものだ。こういうブログと出会った時、僕はいつも村崎百郎の「情念ノート」を思い出す。他人への怨念が満ち溢れたエントリーを日々連発してくれる、悪意に満ち溢れたこのブログは、読む度に深淵を覗き込んでしまったかのような深い感慨を得ることができるのだ。
このブログを見つけてからというもの、僕は密かにじっとその更新を眺めていたのだが、二ヶ月ほど前のある日、どうしても我慢できなくなって彼女のブログにブクマコメントを入れてしまった。するとその日から、更新がピタリと止まってしまったのだった。
これは全くの憶測だが、どうやらそれまでの彼女は、自分のエントリーが見ず知らずの他人から「見られている」という感覚が非常に薄かったのではないだろうか。
そこに僕がブクマコメントをぶつけてしまったことで、がっつりと「見られている」という意識が彼女の心のなかに芽生えて、それが原因で何も書けなくなってしまったのではないだろうか。
もしそうだとすれば、僕は彼女から、自分の心の闇をさらけだす自由を奪い取ってしまったことになる。
とても申し訳なく、残念なことをしてしまったように思う。

 

 

他にも、お気に入りのマイナーブロガーがいる。
プロフィールを見ると、個人事業主となっているのだが、実際は一人暮らしニートの20代男性のブログがある。日々やることもなく、自分の思考や思想をひたすら書き連ねているのだが、誰かに批判されたりすることがないのでまるで王様気取りなのだ。肥大してしまった自己意識から発せられる言葉に耳を傾けていると、だんだんと痛々しくなってくる。
もしかすると、これもあまり人から見られているという感覚がないのかもしれない。うかつにコメントしたりしないように注意しなければいけないと思う。

 

 

要するに僕は、他人の日記を覗き見ている時の、あの何とも言えない背徳感を擬似的に味わいたいのかもしれない。
やっていることは、世間的にも何も問題のない行為だが、時々とても悪趣味なことをしているような気にさせられる。
けれど、そういうマイナーでダークなブログを探して読み続けることが、今の僕にはやめられないのだ。

インターネットと死体と酒鬼薔薇

インターネットが一般家庭で自由に使われ始めた頃、僕も興味が湧いたので、自宅の電話回線を使ってネット接続をしてみることにした。

ネットに繋ぎはじめた最初のうちは、そこで何をやっていいのか全くわからなかったので、ヤフーのトップページから検索して辿り着いた個人ホームページなんかを見て満足していた。
やがてだんだんそれが物足りなくなってきて、いわゆるアングラ的なものを好んでよく見るようになっていった。
主に海外サイトが多かったが、爆弾の作り方が解説されたサイトや、死体写真が掲載されているサイトなんかを中心に、よく巡回していた記憶がある。

 

 

やがて、自分でも何かホームページ的なものを作って公開してみたくなってきて、見よう見まねでHTMLをいじりながら作ってみた。
当時は、自分の日常を日記という形式で公開する人が多かった。今でいうブログやSNSと同じ感覚だろう。
僕の場合は、ただ単に自分の私生活を公開するだけでは面白くないなーと思ったので、全くの創作で日記を書いてみることにした。それと海外サイトから拾ってきた死体写真を組み合わせて、「変態日記」と題して公開してみたのだ。
具体的にどういう日記かというと、「きょう、みちばたをさんぽしていると、おじさんがたおれているのをもくげきしました。」という子供が書いたような文の「おじさんがたおれている」の箇所にリンクを貼っておいて、そのリンク先に男性の死体写真を置いておくという、ちょっとドッキリ的な仕掛けを施しておいたのだ。「子供が書いた日記」という、のほほーんとした雰囲気と、死体写真のグロテスクさのギャップで笑いを取ろうとしていたんだと思う。 いわゆる「ブラックなお笑い系のサイト」を目指していたわけだ。
これは、その手のブラックユーモアを理解できる層にかなりウケがよくて、「いつも更新楽しみにしてます!」とか、「頭おかしいですねあなた」とか、そういったファンレター的なものをメールでもらったりすることが増えてきてだんだん楽しくなってきた。

 

 

そんなことをやっていた時に、あの事件が起こった。
小学生の児童が殺害され、その死体の一部が学校の校門に置かれるという、常軌を逸した陰惨な事件に、世間は衝撃を受けた。
そして僕はというと、早速この事件をネタにしたコンテンツを作成してホームページにアップしたのだ。
「きょうは、がっこうで『なんきんだいぎゃくさつ』についてべんきょうしました。」「ぼくぐらいの年のこどもが、たくさんころされていました。」「とうじは首をきりおとすのがはやっていたようです。」という文章と共に、南京大虐殺の時の死体写真をネットから拾い集めてきて大量にアップした。
僕としては、子供を殺してその首を切り落とすという、非常に残虐な行為が、戦争という時代背景を持つことで正当化されるという、歴史の矛盾を指摘したかったのだ。
今世間が大騒ぎしているようなことも、時代によってずいぶん受けとめられ方が異なってしまうというところを突いて、うまく笑いにつなげていけるのではないかという、僕なりの計算がそこにはあった。

 

 

けれどもこれを公開した翌日に、早速プロバイダから苦情のメールがきた。曰く、「あなたのやっていることは公序良俗に反しており、社内外から批判が殺到しているので、このコンテンツは削除してほしい」と。「もし削除しない場合はホームページの利用自体を停止しますよ」と。
仕方がないのでそのコンテンツは削除した。なんか世の中って面白くないなーと感じながら。表現の自由?なにそれうまいの?
けれども、このことをきっかけにして注目を浴びた僕は、ネット上の知り合いが一気に増えることになった。そしてそこから、世間一般の人々には理解されにくい僕なりの「笑いのセンス」を理解してくれる仲間の存在を感じて、安堵したのを憶えている。
その後も、神戸の事件とからんで、新聞記者だと名のる人物から僕に対して取材の申し込みが来たり、加害者の顔写真がWebやメールで出回ったりと、インターネットの持つすさまじい影響力の片鱗を感じ始めたのもこの頃からだった。

 

 

あれから随分と経ったいま、神戸の事件の加害者が手記を出版したり、Webサイトを公開したりということが起こったり、それに対する世間からの批判もあったりしたことを思い出し、そこにぼんやりと昔の自分の姿を重ねてしまった。
表現の自由?なにそれうまいの?

 

 

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sakamoto2.hateblo.jp

僕のトラウマ映画を紹介する

まだ高校生の頃だったか、深夜に自主制作の短編映画ばかり流す特番をテレビでやっていて、インディーズムービーならではの手作り感や怪しげなノリが大好きな僕は、当時熱心にそれらを観ていた。

その特番の中で、グランプリを取った作品があるのだが、僕は初めてその作品を観終えた時、精神的に完全に打ちのめされてしまって、2~3日放心状態になってしまったことがある。
いまだにあの時の衝撃というのはよく覚えていて、それ以来、その作品にまた触れることができたらいいなと思い続けていたのだが、最近YouTubeで何気なくタイトル検索してみたら、まさにその動画をアップロードしている人がいたのでびっくりした。
こういうことがたまに起こるから、ネットのある時代に生まれてきてよかったと思う。
もう二度と観れないと思っていたので感動しながら、四半世紀ぶりに観てみた。

 

 

この映画は、街中にいる行きずりの男を騙してその日暮らしを送る若い女性と、パントマイム芸人の青年の間に生まれた純愛を描いたものだ。
きれいなクラシック音楽をBGMにして、モノクロの映像が静かに淡々と続いていく。
物語序盤から中盤にかけては、お洒落な感じだったり、ちょっとコミカルだったりと、どことなくウォン・カーウァイの映画に似た雰囲気だ。
で、油断していると終盤付近で、ものすごく残酷なツイストが入り、そのまま鬱エンドへ。
都会とか大人とか、そういう世界が抱えているダークな部分がそれとなく描かれていて、そういう負の領域から二人のピュアな気持ちは常に脅かされていて、観ていてとても苦しくなる。
静かで心地よい音楽をBGMに、残酷な描写が流れたりすることや、最後に即物的なあの「手」のイメージを見せることで、観ている我々は頭を強く殴られたような衝撃を受けてしまう。そういうふうに、音楽と映像の進行が緻密に計算されているのだ。

 

 

こんなものをよく高校生の時に観ていたなと思う。

エロとかグロとか、そういう次元ではなくて、もっと残酷ななにかがむきだしの状態で描かれていて、そういう得体の知れないものにまったく耐性のない年頃の少年がこれを観ていたのだ。
当時の僕はこの作品を観て、映像というものが人間に対してここまでショックを与えることができるのだと、その可能性に驚いたし、これからもこういった怪しげな作品をウォッチし続けることになるのだろうなと思った。
そういう意味でこの短編映画は、いわば自分の性癖に目覚めるきっかけを作ってくれた作品として、思い出深いものになっている。

 

 


『ダイヤモンドの月』

僕が格安SIMを使わない理由

スマホを機種変更した。2年間使ったiPhone6からiPhone7へと。

キャリアはauなのだが、同じ機種を2年以上使っていると、そのままずっと使い続けるよりも、機種変更した方が毎月の料金が安くなるのだ。
なんでそんなことになるのかよくわからないのだが、ケータイショップの店員さんから複雑怪奇な料金プランについて長々と説明を受け、確かに機種変更した方が少し安くなることを確認した。
とはいうものの、それでも毎月6千円ほどはかかる計算になっていた。
最近の格安SIMのことを考えると、この値段は決して安いとはいえないだろう。
格安SIMだと、音声通話込みで毎月2千円といったところだろうか。差額の4千円は結構大きいなと思ってしまう。
が、僕の性格からして、格安SIMにしてしまうと、何年もの間ずーっと同じ機種を使い続けることになってしまうだろう。それもどうかと思ってしまうのだ。

 

 

今回iPhone6からiPhone7に変えてみて感じたことは、やはり「最新機種はいいぞ」ということだった。
たしかに機種変更の前後で画面解像度などの目立ったスペックが変わるわけでもないし、僕の場合はおサイフケータイや防水機能にもメリットはあまり感じていない。
それでも、実際に新機種を触っていると、細かなところで以前には感じられなかった心地よさを感じている自分に気がつく。
指紋認証の速度が上がっていたり、ボタンのクリック感など、ほんのちょっとしたところなのだが、今までストレスに感じていた点が解消されているのだ。
見た目はいままでと同じでも、手にとっていじくり回していると、これは全く別物だなと感じさせられる。
やはり最新のOSは最新のデバイスでこそ真価を発揮するものなのだ。

 

 

そんなわけで、僕の場合は2年ごとに新機種に更新していくという、キャリアに仕組まれたサイクルが調度よいのではないかと思っている。
差額の4千円は端末代だと考えれば、格安SIMを使う場合とそんなにコストに差はないと考えることもできる。
それに、キャリアメールでしか連絡が取れない一部の知人がいることや、同一キャリア同士の通話が無料になるというメリットがあったりもするので、そういう点からも、今のキャリアから離れることは、ちょっと考えられない。

 

 

そもそもスマホは、外出時には肌身離さず身につけているものだし、何かにつけては取り出してにらめっこしているので、言うなればそれはもう僕にとって体の一部のような存在になっている。
そこまで重要な存在となっているスマホに対しては、お金をケチるべきではなく、むしろ積極的に投資していくポイントだろう。

それが、僕が格安SIMを使わない理由だ。

アンドロイドは機械通訳の夢を見るか?

グーグルの翻訳サイトがすごいらしい。

僕の知り合いで、バイリンガルの日本人がいるのだが、彼が自分のブログでそう言っていた。

彼は最近、グーグル翻訳の精度が以前と比べて格段に上がったという発表を聞いて、サイトにアクセスして何の気なしに次の文章を翻訳させてみたという。

 

『つい先日のことですが、グーグル翻訳の精度が大きく改善されました。試してみてちょっと驚きましたよ。』

 

結果はこうだ。

 

"Just the other day, the accuracy of Google translation has been greatly improved. I was a little surprised when I tried it."

 

彼曰く、この翻訳は完璧らしい。

 

「ですが」を"but"と訳していない点や、現在完了を使っていること。
"a little"の位置や、前後の脈絡から"the"を入れる難しい判断をやってのけている点。
「私」と書いてないのに"I"を主語にしていること。
「試してみて」を後ろから"when I tried it"と自然に後置修飾している点。

 

などなど、この翻訳が素晴らしいと思った点について列挙していた。
これは、僕のような英語を苦手とする人間には決して感じとることのできないポイントだろう。
バイリンガルの人だからこそ、その翻訳精度の高さに思わず舌を巻いてしまうのだ。

機械翻訳の性能がそのレベルまできているのなら、そのうち同時通訳でもこのくらいのレベルのことができるようになるのではないかと考えさせられてしまう。

 

 

ふと、知り合いで通訳の仕事をしている人がいたことを思い出した。
その人とは一時期、一緒に仕事をしていたことがあるのだが、その時に、通訳という仕事についてあれこれ面白い話を聞かせてもらったことを覚えている。
彼が同時通訳をしている時には、自分の声のトーンや、声が流れる方向にとても気を遣っているそうだ。
例えば、話し手が高い声の人なら、それを通訳する自分は低い声で話すことで、聞き手にとって聞き取りやすい状況が作り出せるという。
そして、話し手の話している方向とは、逆の方向から自分の声が流れていくように、常に自分の立ち位置に気を配っているらしい。
また、通訳している話の内容から文脈を読み取り、なにか重要なことを言っていると判断した時には、そこだけゆっくりとイントネーションを変化させながら話したり、とにかくリアルタイムに色んなことに気を配りながら、おもてなしの精神でやっているらしい。
ただ単に、耳から入ってきた言葉を翻訳して口から出しているわけではないのだ。そこには、言葉を伝えるための自分なりの創意工夫がふんだんに盛り込まれている。
そんな調子なので、通訳の仕事をしている間はものすごく精神がすりきれると、その人は言っていた。
なので、国際会議などの誤訳が許されないシビアな環境では、3人位の通訳者が交互に10分ずつ交代しながらやるらしい。そのくらい、気を遣いすぎて神経をすり減らしてしまうような仕事なのだ。


「けど、人と人をつなげる仕事なので、とてもやりがいがあります。」

 

いい表情をしながらそう話す彼の姿を間近で見ていて、ああこれはいい仕事だなと思った。

 

 

そういうことを知っているだけに、コンピューターがはたしてそのレベルにまで達することができるのだろうかという点については、ものすごく気になる。
入出力のインターフェースや、内部のAI処理など、これから進化させていく方向性はいくらでもあるだろう。
もし機械通訳の技術がそこまで到達することができたのなら、英語を不得手とする人間にとって、グローバルに活躍できる場所がこれから飛躍的に増えていきそうで、楽しみな感じがする。

冥福を祈る気にもなれない

20代の前半から、僕はシステムエンジニアの仕事をずっとやっている。でも、その間およそ20年間を、ずっとSEひとすじでやっていた訳ではなく、ちょいちょい他の仕事に浮気しながらこれまでやってきた。

SEの仕事は基本的に、お客さんの会社に入っているIT周りのシステムをあれこれ弄り回すことだ。それはどちらかというと、他人の仕事を裏側からサポートするような、裏方さん的なスタイルの業務にどうしてもなってしまう。
僕はそのあたりがなんか物足りないなと長年感じ続けていて、ある時、自前で商売をやっている、いわゆる事業会社への転職を決意する。
ちょうど運良く、とあるBtoCの店舗型事業を全国展開している会社に転職が決まり、さあやるぞーという感じで意気込んで働き始めた。
なにをどうすれば会社が儲かるのか、それを常に考え、企画し実行する。いままでと頭と体の使いどころが全く違う業務にとまどいを感じながらも、しばらくは充実した会社生活を送ることができた。

 

 

その会社に、僕より年齢が4つ上のベテラン社員がいた。
過去に証券会社での営業経験があるらしく、なるほどそれ系のニオイがぷんぷん漂ってくる人だった。いわゆる昭和のモーレツ社員といえばよいのだろうか。10連勤や20連勤は当たり前で、毎晩浴びるように酒を飲み、バカバカ煙草を吸い、トイレで吐いては会議室でこっそり横になる。ストレスと不摂生にまみれた、そんな仕事スタイルの人だった。

 

「上司から『できるか? 』 と尋ねられたら、必ず『できます !』 と返事するんや。できるかどうかは後から悩んだらええねん。」

 

そんな風にうそぶく彼は、会社的にはとても優秀な人材だったと思う。
たとえそこが自分の限界を超えた領域であっても、がむしゃらに飛び込んで行って、もがきながらそれなりの成果を出してきた人だった。
彼を見ていると、僕も将来的にはこういうタイプの人材になることを会社から期待されているのだろうと思わされてしまい、暗澹たる気持ちになったものだ。
決して彼のことを尊敬していたわけでもないし、目標にしていたわけでもない。ただ、彼を見ていると辛くて苦しかった。
SE時代には、上司から無茶振りされても、できないことはできないとはっきりと断ることが美徳だとされていた。自分のキャパシティを自覚して、それを超えないようにきちんと業務量を調整できる人が、優秀なSEだと教えられてきたし、また何度もそれを痛感させられてきた。
その教えとは真逆である彼のスタイルや、にもかかわらずに強引に成果を出し続ける彼の姿に、常に違和感を感じ続けていた。
僕は2年ほどその会社に勤めていたが、やはり精神的にも体力的にもついていけなくなり、退職して再びSEの道に戻ることを選んだ。
なのでその後は、彼のことはすっかり忘れてしまっていた。

 

 

そんな彼が先月、急性心不全で亡くなった。まだ40代の後半だった。
奥さんと、小さなお子さんが3人いるという。
いたたまれない気持ちと共に、やはりそうなってしまうのかという既視感にも似た気持ちが押し寄せてきた。
あの仕事スタイルでは、いずれはそうなってしまうことは誰の目から見てもあきらかだったのに、当人も周囲の人間も誰もストップをかけずに全力疾走し続けて、その結果がこれだ。
ほんの少しでいいから、困難に立ち向かわずに、恐れて逃げ出すことを考えて欲しかった。
全力で逃げて、そして生きてさえいれば、家族と共に支え合って生きる手立ては、いくらでもあったのに。


そう思うとやりきれない。
冥福を祈る気にもなれない。

飲み会より勉強会

僕は一時、介護関係の仕事に興味を持っていた時期があって、そっち関係の専門学校に通っていたことがある。

その時の僕は30代だったのだが、通っていた学校の同じクラスの人達は、20代から60代までの幅広い年齢層の人たちが集まっていた。さらに、その人達がそれまでに携わっていた職業はかなり多岐にわたっていて、そういう意味ではいろんな経験や考え方を持った人達と接することのできる、とても貴重な機会だったように思う。
そのクラスに通っていた期間は、わずかに三ヶ月ほどだったのだが、その間は他の生徒さん達と一緒に切磋琢磨しながら、 ヘルパー資格取得に向けて努力していた。
通っている間は、「学校ってこんなに楽しいところだったんだな」という気持ちが常に心の中を占めていたし、「学ぶってこんなに素晴らしいことだったんだ」ということを身をもって感じさせられた。
現役の学生時代の頃には、そんなこと感じたこともなかったのに、歳を取ることによって、物事の捉え方や考え方ってずいぶん変化するものなんだなと思い知らされた。

 

 

さて、そのクラスが終了した後も、自発的に同窓会的なコミュニティが生まれて、たまに小規模な飲み会が開かれるようになっていた。
僕も当初は、よくこういった飲み会に参加したり、あるいは自分が飲み会の幹事をやったりもしていたのだが、なんとなくだんだんと足が遠ざかり、最近では全く参加しなくなってしまった。
その原因のひとつは、今の僕の職業がシステムエンジニアであり、他の介護士として働いている人たちとうまく話が噛み合わなくなってきてしまったということが挙げられる。
うまくいえないが、やはり少し彼らとは距離を感じるというか、大勢でワイワイ話していても、どこか僕一人だけ輪の外にいるかのような孤独感を感じてしまうことが多く、そのせいで足が遠ざかってしまったのだ。

 

 

いっそのこと、飲み会ではなく、勉強会的なことをやってみればいいのになと思うことがある。
勉強会というからには、各人が発表したいテーマを持ち寄って、それに関するプレゼンを行い、それを観ている人達と議論し合うとか、そんな感じになるのだろう。
例えば、普段自分が携わっている介護現場で、このような出来事があって、それに対してこういうふうに対応して解決したっていう事例を紹介したりしてもいいだろう。
もっと実践的な内容にして、介護事業者として独立する為の手続きごとについてだとか、もっと社会的なものなら、介護ロボットや外国人介護士についての話題に触れてみてもいいだろう。
議論できそうな話題はいくらでもある。
なにも難しそうな顔をして真面目に話し合わなくてもいい。お酒でも飲みながら気楽に話し合えるような場所があればいいだけだ。

そしてそういう場所なら、介護に関して門外漢である僕でも疎外感を感じずに参加できるような気がするのだ。

 

 

あの頃、学校に通って介護の勉強をしていた頃、せっかくみんなで協力しあいながら勉強してきたのに、その熱量を活かして、継続してお互いを高め合うっていうことができてもよさそうなものなのに、そういうことをせずに、ただみんなで集まって管を巻いているだけっていうのももったいないなと思ってしまうのである。
じゃあお前が企画してやれよと言われてしまいそうだが、 そんなことをいくら僕が企画しても、ついてきてくれそうな人が誰一人としていないことが問題なのだ。
これがIT系の勉強会だと、意識の高い人が多くて、誰もが前に出てがんがんプレゼンしたがるのだが、介護の世界では、あまりそういうことを前に出てやりたがる人が少ないのだ。
IT系勉強会のアツいノリを、介護の世界に持ち込んで、みんなでなにかできたらなと、そんなことを夢想しながら僕は、次の飲み会の案内に欠席のメールを入れるのであった。