坂本から君へ

さかもとのブログ。自分語りとか世間話とか。大阪にいる。

死のイメージ

最近、仕事中にPCのモニタを凝視していると、目の前に糸くずのようなものがチラチラ飛んでいるのが見えるようになってきた。
これはなんだろう?と一度気になりだすと止まらなくなってきて、何か悪い目の病気だったらまずいので、先日眼科を受診してきた。
医者からはあっさりと、「飛蚊症ですね。」と言われた。
詳しく話を訊くと、僕の目自体には特に異常はなく、ただ単に眼球が老化して濁ってきているから、糸くずのようなものが見えてしまうらしい。
これは病気ではなく、ただ単に老化現象ということなので、特に治療する必要もないそうだ。
とは言うものの、常に汚れたレンズを通して世界を見ているような気がするのは、なんとも気分がいいものではない。
ネットで調べたところ、レーザーを当てて治療したりすることもできないことはないらしい。
それはそれで検討してみるとして、僕はそんな治療法うんぬんのことよりも、医者から老化だと言われてしまったことに、微妙に心のひっかかりを感じていた。

 

そのこととは別に、僕は以前から奥歯の調子がよろしくなく、現在も治療を受けている。この奥歯についても、もう根っこのところにヒビが入っている状態らしく、早いうちに抜いてしまった方がいいと医者から言われている。
どうも僕はもともと顎の噛みしめる力がとても強いらしい。普段の生活の中でも、寝ている時や仕事で集中している時などに、かなり強い力で奥歯を噛み締めているらしく、それが奥歯にとってよろしくないらしい。
これについても、若い頃にはそんなに問題になっていなかったのが、齢をとることで歯が老朽化してきて、顎の噛み締める力に耐えられなくなってきているのだろう。
やはりこれも、一種の老化なのではないだろうか。

 

そんなわけで、最近、「老いる」ということに対して、すごく自覚的になってきた。
僕らは、死ぬ直前まで元気で健康な体でずっと過ごすことなんてできないのだ。
こんなふうにして目も徐々に悪くなってきて、歯もだんだんと抜けていって、今はそういう表面的なところから老化が進んできているだけで済んでいるけど、その内、心臓とか脳とか、クリティカルなところにもダメージが出てきて、つまりはそういうことを含めたすべてが、「老いる」ということなのだろう。
生きながら、徐々にゆっくりと死へ向かって進んでいくようなイメージだ。
「死」の前に、なだらかな「老い」という坂があって、それは誰にも避けることのできないことなのだが、そのことを、だんだんと自分の身をもって理解させられていくことに、これからなっていくんだと思う。