坂本から君へ

さかもとのブログ。自分語りとか世間話とか。大阪にいる。

飲み会を憎んでいた

僕はかつて、「飲み会」を憎んでいた。会社とかでよく催される、あれである。
僕が若い頃に勤めていた職場では、「飲み会の幹事をそつなくこなすことができるようになって、初めて一人前だ。」という空気というか、文化のようなものが流れていて、誰一人それを疑っていなかった。
その職場で新人だった頃の僕は、毎月のように開催される飲み会の度に、出欠取りや会費集め、当日の司会進行などをやらされることになる。
学生時代の飲み会とは違って、職場での飲み会は少しも楽しくはなかった。料理は全然食べることができないし、年配の人達のくだらない話につきあわなければいけなかったし、それでも安くない会費だけはきっちりと取られるし。
そんなだったので、イヤイヤやっていた僕の態度が周囲からは透けて見えていたのだろう。当時の上司や先輩が相談して、「飲み会幹事を鍛える為の飲み会」を毎月開催しようという話になり、その幹事を僕が任されることになった。
飲み会幹事の為の飲み会だって?正気とは思えなかった。
もはや何の為にこんなことをやっているのか全くわからなくなってしまった当時の僕は、どんどん疲弊していった。

 

やがて僕も少し歳をとって、そういった飲み会の席での幹事を任されることはなくなった。
それでも僕は、職場の飲み会に対するイヤなイメージが頭からこびりついて離れず、参加すること自体がストレスになっていた。
でも、全員が参加しなければならないという上司や先輩からのプレッシャーは強く、それらをストレートに跳ね返すことは難しかった。
そこで僕が考えたのは、飲み会の出欠確認の際に、「出席」にしておいて、参加費用もきちんと払い、飲み会当日になると無断で欠席して帰宅するという作戦だった。
そういうことをやると、職場からは浮いた存在となってしまうことがわかっていたにも関わらず、あえて僕はそういうことを繰り返した。
金を払ってでも、飲み会には行きたくない。そういう姿勢を周囲に向かってアピールすることで、僕はこの組織に根付いた文化にアンチテーゼを叩きつけているつもりだったのだ。
この行為は、上の方の人達の間で結構問題視されていたらしいのだが、かといって面と向かって僕に「そういうことをするのはやめろ」と言ってくるような人もいなかったので、僕はしばらくそれを続けた。
やがて僕も、そんなことをいつまでもやっているのがばからしくなってきたので、飲み会の出欠確認にはきちんと「欠席」で返すようになった。それで周囲からは何も文句は言われなくなった。これでいいのだと思った。

 

それから長い年月を経て、中年になった今でもそれは続いていて、僕は滅多なことでは職場の飲み会に参加することはしない。
昔と比べて、飲み会に対する憎悪や嫌悪感は薄れている。しかしそのかわりに、純粋に疑問として残っていることがある。
そもそも僕は、飲み会をやる意味がよくわからないのだ。
まず大前提として、会社には仕事をしにいっているということがある。仕事をして、報酬を得る。それ以上でも以下でもない。
別に友達や恋人を作りにいっているわけではないのだ。
むろん、仕事を通じて、友情なり愛情なり育むことができたら、それはそれでいいことだと思う。
だが、職場でのイベントを通じて、あえてそれを促すようなことをやる必要ってあるのかなというところが、ずっと疑問なのだ。
そんなこと気にせずに、もっと気軽に参加すればいいのにと思われるかもしれない。
でも、できないのだ。
若い頃に経験してきた苦い記憶のせいで、それは今ではすっかりややこしいものになってしまっているのだ。
それを考えると、いつもとても残念な気分になってしまう。