坂本から君へ

さかもとのブログ。自分語りとか世間話とか。大阪にいる。

ペットと暮らすということ

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最近ずっとこの漫画の連載を読むのがつらかった。
この猫(とらじ君)が亡くなるということがはじめからわかっているだけに、いつその瞬間がきてしまうのかビクビクしながら毎週連載を追いかけていたような気がする。
そして先週の回でとうとう…
悲しいけど何度も読んで、泣いてしまう自分がいた。

 

僕は子供の頃、にわとりを飼っていた。夜店の屋台で売られていたひよこを一匹もらい、家に連れて帰ってきてそのままずっと飼っていたのだ。
とても大事にしていて、かわいがっていたし、にわとりも僕になついてくれていた。
僕の行くところには、どこまでもついてこようとした。心が通じ合っているような感じがあった。
子供時代の僕は、そのにわとりのことを学校の作文に書いたものが高く評価されて、何か大きな賞みたいなものを貰ったことを今でも覚えている。
大事なにわとりだった。でも5年ほどで亡くなってしまった。
にわとりを亡くした当時の僕は、まるで抜け殻のようになってしまった。そしてその時の傷はその後もずっと癒えることなく、なにか欠落感みたいなものを心に抱え続けたまま、その後も僕は生き続けることになる。

もう二度とペットは飼わない。そう決めていた。

 

それから20年ほどたって僕は、猫好きの女性と結婚した。新婚当初から妻が猫を飼いたがったので、ネットで見つけた里親募集中の子猫を一匹もらってきて、二人で飼い始めることにした。
僕の方は猫を飼うのは初めてで、結構手が掛かるし大変だなと思うことはあったけれども、幼い頃から抱えていた心の中の欠落感を、大人になって猫を飼うことで、それがほどよい感じで満たされていることに気がついた。
そこに欠落感がまだあったんだということを、20年ぶりに思い出さされたというか、思い出さされながら同時に埋めていってくれているような、僕にとって猫はそういう存在なのだ。

 

つまり、ペットと暮らすということは、そういうことなんだと思う。
生き物は、いつかは亡くなる。それが嫌で、その事実から目を背けようとして、もうペットは二度と飼わないと決心している人もいるだろう。でも、ペットに先立たれることで自分の中に芽生えた欠落感を、また新たなペットの存在が、確かに埋めていってくれることもあるのだ。
ペットの側からしても、人に飼われることで、食と住処以外の部分で満たされていると感じることは確かにあるだろう。
そうやって、足りないものをお互いに補い合いながら、これからも僕はペットと暮らしていくのだ。