坂本から君へ

さかもとのブログ。自分語りとか世間話とか。大阪にいる。

たくさんブクマがついた

先日書いた記事に対して、ブクマが550個もついてしまった。
記事の最後に、ブクマを募る旨を記載していたのだが、そこからまあせいぜい20〜30ブクマくらいついてくれるかなとゆるく考えていたので、実際に返ってきた反響の大きさに正直驚いている。
やはり、はてブの闇と光を可視化したいという需要は確実に多く存在するのだ。
そして、これだけ大量にブクマがつくことで、とても不安になったことが一つあって、それはこの記事自体にネガコメが大量につくのでは?という思いだったのだが、杞憂だったようだ。全てのブコメに目を通させていただいたが、そのほぼ全てが「面白そう、楽しみにしてるから頑張れ!」という応援で、非常にモチベアップにつながった。「作りたい」という願望から、「作らなければならない」という使命感にまで昇華してしまった。
本当にどうもありがとうございました。

 

そんな中で、ちらほらと、「そんなに難しくなさそうだし、自分も作ってみようかな」というコメントが現れたのが嬉しかった。実は、こういう記事を書いて公開することで、それを見て触発されたギークな人々が秒速で作って公開してくれたらなぁという思いもあったりするので、これはもうみんなでどんどん作ってソースを公開するようにしていきましょう。

 

あと、意外だったのが、「自分も過去にブコメの感情分析を試みたことがあったけど、うまくいかなかった」というコメントが出てきたことだ。実際に成果物を見せていただいたのだが、たしかに単純にブコメをポジネガ算出するだけでは、僕が望んでいるような結果は出ないのかなという気がしてきた。ブコメだけを判定基準にするのではなく、もう一枚なにかレイヤーがいるのではという指摘コメもあったし、これについてはちょっと考えないといけないかなと気付かされた。

 

他にも多かったコメントが、「ポジティブ度の高いエントリって、ほとんど互助会まみれになってしまうのでは?」というものだが、まあこれについてはそうなったらそうなったで一つの結果として受け入れるしかないのかなと思っている。
いずれにせよ、とりあえず作ってみて、出来上がった結果を見た上でそれからどうするか判断して、次の成果につなげていこうと思う。

 

あと、そういうホッテントリをカスタマイズするようなことは、はてながやってほしいという意見もあって、これは本当に僕もそう思っている。だけど、最近のはてなは「はてブ」が安定して動くように日々メンテするインフラ提供企業みたいな感じになってしまっているので、残念だけど、これはもうしょうがないのかなと思っている。昔と違って上場しているし、BtoBの案件もたくさん抱えているみたいだし。
一般ユーザーに向けてはこのまま電力会社やガス会社みたいな立ち位置で落ち着いてしまうのか、それとも昔みたいに革新的に面白いサービスを提供できるような企業に戻ってくれるのか、僕は後者であってほしいと思っているのだが。

 

さて、とにもかくにも作り始めようと思う。
とりあえず今週は開発環境を作った。そう、笑ってしまうがそこからのスタートなのだ。GAE触るのも5年ぶりくらいなので、もうすっかりなにもかも変わっていてあたふたしてしまった。
公式のインストールガイドを見ながらやってもうまくいかなかったので、ここを参考にした。

僕はpythonを使いたかったので、この記事の

$ gcloud components install app-engine-php

$ gcloud components install app-engine-python

に変えればうまくいった。

GAEも昔は、わかりやすいGUIのランチャーがあったのに、今はなくなってしまっているようだ。うーん、コマンドのみで、なんかすごい不親切な感じになってしまったな。
他にも公式に日本語でわかりやすいチュートリアルが置いてあったような気がするんだけど、どんなに探しても見つからないし、英語の原文あたるしかないのかな。
5年ぶりにGAE触ってみた感じでは、初見さんお断り的な雰囲気が非常に濃厚で、本当にグーグル先生はこれを売る気があるのだろうかと疑問に感じる。
まあそれはいいとして、なんとかhelloworldを出すことができたので、来週からいろいろやっていこうと思う。

はてブの闇を可視化したい

最近知ったのだが、グーグルが提供しているWebAPIに、自然言語処理に関する機能を持つものがあって、これがなかなか面白そうだなと感じている。

 

cloud.google.com

 

この中でも特に、「感情分析」というやつが気になっていて、どういうものかというと、なんでもいいので適当なテキストをこのAPIに与えると、その内容を分析して、ネガティブ度・ポジティブ度を判定してくれるというものだ。

実際にこのページからデモが試せるようになっていて、試しに「チョコレートが好きすぎて死にそう」と入れてみると、ポジティブ度90%となり、「チョコレート嫌いなので食べると死ぬ」だとネガティブ度20%と出てくる。
まあこれはわかりやすい例なんだけど、とにかくこちらが与えた文章に含まれる感情的な要素を読み取って、それを数値化して返してくれるというものだ。
こういうAPIが昔から欲しかったんだけど、なかなか気軽に利用できるものが出てこなくて残念に思っていたのだが、ここへきてようやく気持ちに時代が追いついてきたなという感触がある。

 

さて、このWebAPIを利用して、僕が作ってみたいWebサービスが一つあって、それは「はてブの闇を可視化する」というサービスだ。
どういうものかというと、ホッテントリに上がっている各エントリについたブクマコメントを、このWebAPIに食べさせて、さきほどの例で挙げたようなポジ・ネガ度合いをエントリごとに合計して算出するというものだ。
で、ホッテントリに上がっている全てのエントリについて、ポジ・ネガ度を算出できたら、それらを数値の高い順に並べて表示したい。
現在のホッテントリのように、ブクマのつく量や速さのみで順位が決まるのではなく、ブクマの内容によって順位が決まってくるようなものがあればいいなと以前から思っていたのだが、それがいい感じに実現できそうな気がしている。
日々ホッテントリに上がってくるエントリのブコメを読んでいると、ネガティブなものが非常に多く、記事の内容やあるいは書いた人を直接ディスっているものが本当に多い。
これはもう大昔から言われてきたことなのだが、本当にはてブとは、そんな憎悪と怨嗟にまみれた罵詈雑言が集まるような場所なのだろうかという疑問が自分の中にあって、それを客観的に判断できるような仕組みが作れたらいいなと思っている。
また、ポジティブ度の高いもの、つまり美しくきれいなコメントのみで構成されたようなホッテントリがあったとして、そんなものをいったい人は見たいと思うのだろうかということについても興味がある。

 

もし僕がこのサービスを作るとしたら、おそらくはGoogleAppEngine上のPythonで作ることになるのだろうが、もうずいぶん長いこと触っていないので、勘を取り戻すまでかなりの時間がかかりそうで、非常におっくうである。
そこで、ちょっと自分の中でモチベーションを上げるために、ここまでこの記事を読んでくださった方々に、アンケート的なものを取らせていただきたい。
今まで話してきたような「はてブの闇を可視化する」Webサービスを実際に見てみたい、使ってみたいと少しでも思われた方は、この記事をブクマしてほしい。反対に、興味ないよという方はスルーでお願いします。
ここで集まったブクマが、20〜30個程度までいったら、一念発起して作り始めようと思っている。30人もユーザーがいてくれるなら、作り上げるまで充分モチベーションが保てるような気がする。また、作っていく過程についても、このブログで逐一公開していこうと思う。


それでは、よろしくお願いします。

自作PCと僕

自宅のデスクトップPCが壊れた。電源を入れると冷却ファンの回る音が虚しく響くだけで、画面にはBIOSの表示すら出てこなくなってしまったのだ。
昔の僕だったら、こんなことになったら喜々として原因を探ろうとしてあちこちパーツをとっかえひっかえしながらいつの間にか治してしまったんだろうが、今はもうそんな気持ちがどこからも湧いてこない。

 

このデスクトップPCは5年ほど前に、市販のパーツを組み合わせて作ったもので、いわゆる自作PCというやつだ。
僕の自作PC歴はとても長く、21世紀に入る前からもう既にこの世界にどっぷりとハマっていた。
PCを触り始めた当初は、富士通などのメーカー製の出来合いPCを使っていたのだが、ただそのまま使っているだけでは物足りなくなってきた僕は、そこにハードディスクやメモリを増設していったり、さらにはCPUやグラボを交換したりしている内に、だんだんと原型を留めなくなっていってしまったのだった。もうそれならいっそのこと全部単体のパーツを組み合わせて一台作ってしまった方が、メーカー製のPCを買うよりも安上がりになるのではないかと思って、実際にやってみたらその通りだったので、それからはPCというと僕の中ではイコール自作という図式が出来上がってしまっていた。

 

PC自作なんていう怪しげなことをやり始めた当初は、周囲を見渡しても同じようなことをしている人間は誰ひとりとしていなかった。そんな一般の人たちに向かって「自作したパソコンを使っている」と話すと、なんだかすごい技術を持っているように誤解されることが多かったのだけど、実際はドライバー一本で、プラモデルを組み立てるよりも遥かに簡単な工程で組み上げることができるという単純な世界だったのだ。
それでもただ作るだけではなく、その後で色々と設定を変化させることで、CPUやグラボのクロック数を大幅に上げることができたり、それによって高画質な3Dゲームがグリグリ動いてくれたりと、なかなか楽しみの幅もひらけていたように思う。

 

当時の僕は実生活、とくに仕事方面でうまくいっておらず、社会人として成長していけていないというもどかしさを、PCをアップグレードすることで解消していた。PCがパワーアップする度に、なんだか自分がどんどん強く成長していっているような、そんな疑似的な体感を得ていたのだと思う。
そう、あの頃の僕にとって、自作PCは全てだった。
仕事で辛かった時は、新しく登場したナイスなCPUのことを考えてやりすごした。恋愛で失敗した時も、最高級のグラボを思い切って買うことで気持ちを切り替えることができた。
僕にとってPCは、単なる道具などではなく、自分の分身だったり、世界の理想だったり、崇拝するべき偶像ですらあったような気がする。

 

なのにいつから、僕にとってのPCは、ただのネットワークにつながっているだけのダム端末に成り果ててしまったのだろう。
今、目の前にあるこの壊れてしまってうんともすんとも言わなくなってしまったPCを見ていると、不思議な気持ちになってしまう。
おそらくそうなってしまった背景には、スマホの登場や、ゲーム専用ハードの進化だったり、それ以外にも色んな要因が隠れているのだろう。一番大きいのは、PCの使用用途がネット上の様々なサービスの方へシフトしていってしまったことだったりするのかもしれない。
とにもかくにも、PCに対してワクワクするような感じが今はまるでなくなってしまったことに、とても残念な気持ちにさせられる。
パーツを交換するためにPCの蓋を開ける時の、あの胸が打ち震えるようにときめく感覚を、もう一度味わってみたい。そう思いながら、もうそんな時代は来ないのだろうなという気も同時にしている。

とうとうPSVRを買ってしまった

その昔、僕が小学生くらいの頃に「ゲームセンターあらし」というマンガが流行ったことがあって、当時からゲーマーだった僕はよくそれを愛読していた。
そのマンガでは、テレビゲームを通して悪と戦うという筋書きのエピソードが多かったのだが、ある話では、部屋全体がスクリーンになっていて、そこにホログラムを投影して遊ぶ巨大なインベーダーゲームが登場したり、あるいは超常現象のようなことが起こって、主人公の魂がゲーム機の中に入り込んでしまうという話もあった。
もう笑ってしまうくらい荒唐無稽な感じなんだけれども、それでもテレビゲームの黎明期から「ゲームの世界に入る」という行為は、ゲーマーにとっての一つの夢であり続けてきたわけだ。

 

そこでPSVRである。このゴーグルとイヤホンで自分の視覚と聴覚を完全に塞いでしまうことで、今まで夢だったゲームの世界の中にダイブすることが可能になるのだ。
「ロンドンハイスト」「アンティルドゥーン」「Rez infinity」そして「バイオハザード7」。
この流れでプレイしていって、僕は完全にVRゲームに心を奪われてしまった。
めちゃくちゃのめり込んでしまう。最高に爽快だし幻想的だし恐ろしいし楽しい。
ここでどんなに僕が拙い言葉を駆使しても、この楽しさを誰かに伝えることができないのがもどかしいのだが、あえて一言だけ言うならば、なんというかこれは、ゲームウォッチからファミコンに切り替わった時のようなパラダイムシフトを感じてしまうのだ。

 

けれども、よい面ばかりではなく悪い面もある。
酔うのだ。VR酔いというやつだ。
僕の場合は、先に挙げた最初の三本のゲームでは酔うことはなかったのだが、バイオで一気に酔ってしまった。
ゲームの世界を強制移動ではなく、自由移動できるのがどうもまずいようだ。身体は静止しているのに、視界だけが移動しようとするものだから、そのギャップに脳が悲鳴をあげているのだろう。
なので、VRゲームは長時間やっているとかなり疲れる。どんなに頑張っても連続二時間が限界だ。
まだまだもっとやりたいのに、へとへとに疲れてしまってこれ以上プレイできないという、ゲームをやっていてそういう心理状態になるのも久しぶりな気がする。ここまでゲームに夢中になれる余地が、まだ自分に残されていたのが驚きだ。

 

そして、皆さんがVRに最も期待しているであろう「エロ」なのだが、これについては以前に体験していたスマホVRとそんなに変わることはないというのが率直な印象だ。
スマホVRで観ていた動画をPSVRで観ることで、ちょっと視界が広くなって、画面が明るくなったような気がするが、そんなことよりもコントローラーで巻き戻しと早送りができるようになったのが非常にありがたい。まあこれが当たり前なんだけど。
ただ今回PSVRで、DMMではなくアダフェスというところが出している匠ブランドの動画を試してみたのだが、これがとてつもなくすごかった。
女優さんの体の小さなホクロとか汗のしずくとか髪の毛の一本一本が揺れる感じとか息遣いにいたるまで、はっきりと感じられて凄まじいくらいにリアルだ。
ただ、肌の荒れてる箇所とかまでリアルに伝わってしまうので、これは出演している女優さん達にとっては非常にシビアな世界になってきたなという気はする。

 

さて、ここまで話してきたことを簡潔にまとめると、これは明らかにゲームとエロの未来形だということだ。
マトリックスみたいに人間の脳に直接電気信号を送らなくても、目や耳などの感覚器にドライバをかますだけで、こんな刺激的な体験が手に入るのは、手術などのコストやリスクを考えると非常にお得だと思う。
いままでの品薄でなかなか手に入らなかった時期も終わり、ヨドバシとかで普通に買えるようになっているみたいなので、皆さんもぜひやりましょう。おすすめだ。

身体障害者を差別した日

あなたは普段、道端などで体の不自由な人を見かけた時に、どういう気持になるだろうか。
「なにか困っているようだったら、助けてあげないと…」
「こういう人たちが不便を感じないような世の中にしていかないと…」
たいていは、そんなようなことを考えたりするだろう。僕だってそうだ。
こういう気持ちというものは、一体どこから出てくるのだろうか。
子供の頃に、親や学校の先生からそういうふうに教わったから、そういう思想が自然と身についているだけなのだろうか。

 

その昔、20代も後半にさしかかった頃、僕はある女性とつきあっていた。相手の女性は僕より少し年上で、結婚に対してかなり焦りを感じている様子だった。
交際が深まるにつれて、当然のことながら、彼女から結婚して欲しいと頼まれた僕は、あまり深く考えずに「いいよ」と返事をしてしまった。
まずは両親に彼女のことを紹介しなければならない。実際に彼女を両親に会わせる前に、事前に彼女に関する情報を色々と両親に伝えることになった。
僕はまず両親に、彼女が自分より少し年上であることや、地元の短大を出ていて、今は小さな会社で事務職に就いていることなどを話した。
そして、話が彼女の家族のことにおよんだところで、だんだんと雲行きが怪しくなり始めた。
彼女には身体障害者の兄がいた。生まれつき足が不自由で、車いす生活を送っていて、定職にも就いていなかったのだ。そのことを話すと、父親も母親も眉をひそめるような表情になったのだ。
最初は何か言いにくそうな、考えこむような態度をとっていた両親だったが、だんだんときつい言葉が飛び出すようになってきた。
「そのお兄さんのことを、将来的に、おまえが面倒をみていくことになったらどうするんだ。」
「もしも遺伝の関係で、子供が障害をもって生まれてきたらどうするの?育てるのはものすごく大変よ。」
「体の障害だけではないだろう、きっと知能にも問題があるのではないのか。」
正直、今でもこの時言われたことを思い出すとつらくて、あまり詳しくは書けないのだが、どんどん両親の発言がエスカレートして止まらなくなっていった。彼女や、彼女の家族の人格を否定するようなことまで言い出す始末だった。
これはまぎれもなく差別だと、僕は思った。差別の塊だ。

 

結局、僕は彼女を両親に会わせることができなかった。
こんな暴言を吐く両親を、彼女に見られたくなかったのだ。とても恥ずかしかった。

 

あの時から僕はいまだに、自分の両親のことをよく思っていない。
親とは、そういうものだということは頭ではわかっている。子供に近づくあらゆるリスクを全力で排除しようと、時には命まで張ることもあるのだろう。
でも、僕はあの時、自分の両親には、ああいう言葉は言って欲しくなかった。
「将来的に苦労することになるかもしれないけど、私達に頼るなりして、頑張って欲しい」と、そういう感じできれいに流してもらえなかったんだろうか。
それは、冒頭で言ったようなキレイ事にすぎないのかもしれない。
現実に、差別は存在する。そして、結局は彼女と結婚しない道を選んだ僕も、両親と同類なのだろう。
身体障害者を差別した日のことを、僕は忘れることができない。これからもずっと。

インドの会社に勤めていた

僕は3年ほど前に、インドの企業の日本法人で働いていたことがあるのだが、その時に感じたことを、今さらではあるが書いてみたい。


そもそもなんで僕がインドの会社にいたのかなのだが、長年SI業界にいると「オフショア開発」という単語を耳にする機会が頻繁にあって、それがどんなものなのかちょっと興味を持っていた当時の僕は、謎のコネを使ってインド企業に潜入することに成功したのだ。
インドの会社とはいえ日本法人なので、社員はほぼ日本人ばかりで構成されているのかなと勝手に想像していたのだが、入ってみると社員の8割がたがインド本国から転勤してきている生粋のインド人ばかりだったのでビビった。
彼らとのコミニケーションは基本英語だが、僕はほとんど英語が話せない。そこで、通訳を担当するバイリンガルの日本人がチームに配属されていて、その人を間に挟んで彼らと会話することになる。
SIなので、基本的に客先常駐で勤務することになるのだが、開発チームの中でインド人10人くらいの中にぽつんと日本人の僕と通訳の人が紛れ込んでいるという、ちょっと今までとは勝手の違う環境での業務はとても刺激的だった。と同時に、戸惑うことも多かった。
以下、だらだらと感想を書いていく。

 

時間にルーズ

ミーティングの時間を事前に決めていても、その時間から始まることがあまりない。
遅れて始まるのならまだわかるのだが、結局やらずに終わってしまうことが多かった。
そういう時は、次の日になって、「昨日できなかったあの件のミーティングだけど、今日の15時から改めてやることにしよう。」と言われたりするのだが、その時間になってもやはり始まらずに流れてしまって、また翌日ループのケースにハマることがあったりする。
こういうのは日本企業に勤めていた頃はありえなかったので、かなり驚いた。
彼らは朝の出勤時間も結構いい加減な感じ(9:00の始業に少し遅れてくる。)だったので、これはやっぱりインドの国民性なのかなと思ってしまう。

 

頭がいいし、すごい前向き

ユーザーの業務アプリケーションの画面を触っていて、全て日本語表記で漢字とかも使われているにも関わらず、彼らはどの入力項目がどういう意味を持っているのかについて、完全に把握しているようだった。
漢字を使わない文化圏の人間が、漢字に慣れ親しむのは大変だと思うのだが、 彼らは頭がいいというか、とても勘が鋭いような感じで、なおかつわからないことがあってもめげずに前向きに理解していこうとするスタンスがあって、そこが素晴らしいなと思った。

 

フレンドリー

お昼ごはん用に、家で用意してきた弁当を持参してくるインド人がいたのだが、「君もこれを食え」とか言いながらチャパティをちぎって分けてくれたりすることがよくあった。「辛いだろう?」とか言いながら嬉しそうにしてる。
日本人って、大人になったらあんまりそういうことはしないのに、ものすごくフレンドリーだなーと思った。
向こうの食事はなんでもカレーの味がする。漬物とかでもカレー味。
あと、肉は絶対に食べないし、断食期間なのだと言って食事自体しない人もいた。宗教きつい。

 

飲み会が多い

これはなにか勘違いしているのかも知れないけど、客先の人間も含めた飲み会がやたらと多かった。
お客さんとも自社の人間とも仲間意識を強めて、うまく仕事を進めていこうということなのかな。
我々はクライアント企業に出入りしているただの一業者にすぎないわけだが、なにかそれ以上の関係性を構築しようとしているように感じられた。
僕は参加しなかったけど、お客さんも交えて山登りやUSJに行ったりしていたので、まぁそういうことなのだろう。
インド映画のラストで、敵味方揃って楽しくダンスして終わるというやつがよくあるけど、あんなノリなのかもしれない。これも国民性か。

 

通訳の人がいない時

契約の関係で、18:00以降は通訳の人が帰宅してしまうので、それ以降にインド人とコミニュケーションを取ろうと思うと、身振り手振りでやるしかなくなる。
正直これがとても辛かった。一日の終わりにさらにヘトヘトになってしまう。
やっぱり英語ができないとここでは生きていくのは難しいなと痛感させられた。

 

残業

入社前の面接で、「残業はしてもらわないと困る」と言われたのだが、労働契約書には残業手当は支払わないとはっきり書かれていた。これって労基的にOKなのだろうか?インドの法律だとこういうことは許されているから、その流れでこんなことになっているのかなと疑問に思った。
オフショア先のインド本国にいるメンバーと電話でミーティングすることがよくあるのだが、インド本国はまだ昼間でも、 時差の関係で日本では就業時間後であることが多く、この時間帯にミーティングすることが多かったので、必然的に残業が増える構造になっていた。
ちょっとこれは問題だなと思っていたけど誰にも相談できなかった。

 

自分の業務

オフショア開発なので、実際の作業はインド本国に投げることになるのだが、投げることのできるような作業はたいていルーティンワークばかりで、それ以外の非定型な、まぁちょっとやっかいな仕事は日本人である僕がやるという、そういう感じの分担になってしまっていた。

まぁ日本人のお客さんと細かい調整しないといけない場面で、インド人がでてくると間違いの元になるので、それは仕方ないのかなと。なので、どうしても難易度の高い仕事が僕にアサインされてくる。
クライアントの業務知識が皆無だった自分には、これもとても辛かった。

 

まとめ

インド人は頭がいいし、すごく前向きで、フレンドリーに接してくるところはとてもいいなと思った。
けれども残業の問題は今でも納得いかないし、英語が話せない自分にはコミニュケーションコストがかかるという非常にやっかいな問題があった。飲み会などの親睦関連行事が多かったりするのもかなりしんどかった。
なので、英語が普通に話せて、客先の業務知識に精通していて、定時後も無給でバリバリ働きたいという人にはオススメの職場だと思う。そういう人はもっとよい条件の仕事に就けばいいと正直思うのだが。

人はなぜ結婚式の写真共有サービスを作ってしまうのか?

先日、はてブを眺めていて「お、これは!」と思ったブログ記事があった。

結婚式の参列者がスマホで撮影した写真を、そこにいる全員で共有して閲覧できるようなアプリというかサービスを作ってみたというお話だ。

tomoima525.hatenablog.com

 

新郎自身が当日デバックしながら運用したという、信じられないような面白い記事だけど、これってなんか既視感あるなーと思って自分のブクマを検索すると、つい最近も同じようなことをやっていた方がいたのを思い出した。

それがこちら。プレゼン形式のスライドになっている。

speakerdeck.com

 

サーバーレス?というか最近のWEB技術ってさっぱりわからないのだが、とにかく今風の技術を駆使して苦労しながら作り上げた様子が伝わってきて興味深かった。

で、さらに自分のブクマを検索していると、なんと今から10年ほど前にも、同じようなサービスを作っていた方が出てきて思わず笑ってしまった。

marucc.hatenablog.com

 

まだスマホもなかった時代で、LAMP構成とかFLASHとか、懐かしい言葉がたくさんでてきて、僕のような年配者にはこちらの方がなんだか落ち着く感じがする。

 

さて、このように太古の昔から、数多くの技術者の手によって結婚式の写真共有サービスが作られ続けてきたわけだが、何を隠そう、この僕もこういうサービスを作ってみたいと思っていた時期があったのだ。

その昔、ブライダル関係の会社に勤めていた僕は、会社として、こういう感じの写真共有サービスを作って運営してみたらどうかなと、頭の中で勝手に夢想していた。

用途は非常に限定されるのだが、使い勝手の良いサービスであれば、必ず利用してもらえるはずだと思ったし、写真の共有先の画面にさりげなく自社の広告が出るようにしておけば、自社の宣伝として非常に有効なのではないかと思っていた。このサービスのユーザーは、まず間違いなく結婚適齢期の男女が数多く含まれているはずだからだ。

 

しかし当時勤めていた会社は、とても貧しくお金のない会社だったので、そんな企画が通るはずもなく、また日々の多忙な業務に押し殺される形で、僕のこのアイデアは結局日の目を見ることはなかった。

今やブライダル業界は斜陽産業と呼ばれて久しいが、そんな中で画期的なWEBサービスを世の中に提供することで、自社や業界の復活につなげていったりだとか、まあそういったことがやりたかったんだけど、できなくて悔しかった気持ちが、後悔としてずっと今も残り続けている。