坂本から君へ

さかもとのブログ。自分語りとか世間話とか。大阪にいる。

幸せの代償

たまにフェイスブックを覗いた時に、知り合いの家族写真を目にすることがある。
「家族でどこそこへ行ってきましたー!(パチリ)」という感じの微笑ましいやつなのだが、僕はあれがとても苦手だ。
なんだか他人の幸せをこれでもかと見せつけられているような、そんな居心地の悪い感情で心が満たされてしまうのだ。
そんな苦手な家族写真の中でも、僕はとりわけ、とある友人の女性がアップする写真を見せられる度に、また違った意味での居心地の悪さを感じてしまう。
彼女とは15年ほど前に、友人としてつき合いがあったのだが、お互いが結婚してからはそれまでのように連絡を取り合ったりすることはなくなってしまった。なので、そうやってフェイスブックに上がる家族写真を見たりすることが、今では唯一の彼女との接点となっている。

 

15年ほど前の独身だった頃の彼女は、恋人ができても長続きしないことについていつも悩んでいた。それでよくそういった類の失恋話を彼女から聞かされていたのだが、恋愛経験の少ない僕にはただなんとなくうなずきながら聞いてあげることしかできなかった。
その頃の彼女はなぜだか、某電力会社に勤務している男性とばかりつき合っていた。電力会社といえば安定した優良企業なので、将来的な結婚相手とするならば、そういう会社に勤務している男性が彼女にとっては理想的だったのだろう。問題は、その会社に勤めている男性とつき合って、しばらくして別れるまではいいのだが、そのあとすぐに間を開けずに、また同じ会社に勤めている別の男性とつき合い始めてしまうことだった。
短い期間の間に、そんなことを何度も繰り返していたように思う。
そんな彼女の姿を見ていると、なんだか彼女はその会社にとって、福利厚生施設みたいな存在になってしまっているのではないかと思い、僕はいたたまれない気持ちになっていった。もしかすると彼女に関する変な噂がその会社の中で広まってしまっているのではないか、そんなふうに当時は思っていた。
僕は彼女に、そんなはしたないことはいい加減に止めたほうがいいと、友人としてアドバイスするべきだったのだろうか?
でも当時の僕は、そのことについては何も彼女に言えなかった。

 

そうこうしている内に彼女から、近いうちに結婚することが決まったという連絡を受けた。お腹には結婚相手の男性との赤ちゃんが授かっているという。
そして、相手の男性は、やはりかの電力会社に勤務しているということを知り、僕は暗澹たる気持ちになってしまった。
おそらく、彼女の夫となる男性からすれば、自分の妻の穴兄弟が、自分の勤めている会社の中にわんさかいる状態になっているわけで、おそらくそういうことはあまり知らずに彼女と結婚するんだろうけど、なんだか気の毒な感じがとてもした。

 

その後の彼女は、二人の女の子を産んで、今では日々成長している子どもたちと共に自身の姿をフェイスブックにアップしている。
写真の中の彼女の笑顔は、とてもきれいで輝いていて、周囲はいつも家族や友人たちに囲まれていて、とても幸せそうだ。
けれども、たまにそれを目にする僕は、いつも複雑な気持ちになってしまう。
そこにたどりつくまでに彼女が犠牲にしてきたもののことを考えると、ここでは言いにくいようなことについて色々と連想してしまい、最後には、そこまでしないと幸せとは手に入らないものなのだろうかという、やりきれない感情にいつもたどり着いてしまう。
彼女の家族写真の裏側に、いつもなにかどす黒い陰りを感じてしまい、それはいくら時間が経過しても、色褪せることなく残り続けるのだ。

声に出す

僕は最近、たまにではあるのだが、Facebookで繋がっている知り合いに向けて、ツイキャス配信をすることがある。顔を出しての動画配信はちょっと気恥ずかしいので、音声だけのラジオ配信だ。

聴いてくれているのは、昔の友人・知人ばかりなので、あまり気を使わずに言いたいことをざっくばらんに話しているだけなのだが、これが結構楽しい。今の自分はこんなことを考えているとか、最近アイツはこんなことをやっているらしいとか、そんなどうでもいいようなことをグダグダと小一時間ほど話し尽くして、配信が終わった後はすっきりとした気持ちになる。

 

ついこの間やった配信では、「いま僕がやってみたいこと」について語ったのだが、そこで僕は次の3つのことを「やってみたいこと」として挙げた。

 

  • ボルダリングをやる
  • 気になっている駆け出しのアーティストのライブに行く
  • 小説を書く

 

ボルダリングについては、かなり昔に観た映画「ミッション・インポッシブル2」の冒頭で、トム・クルーズが岩山を素手でガシガシ登っていくシーンに魅せられた時からずっとずっとやってみたいと思っていた。でもこれまであまり気軽に試す機会がないままずっとここまで来てしまっていて、もうそろそろ体力的にもそういう運動系の趣味を始めるのも難しい年齢になってきていることに最近焦りを感じていたので、それで「いまやってみたいこと」として挙げてみた。

ツイキャスでそんな話をした後しばらくして、たまたま新聞をぼんやり眺めていたら、大阪府がやっている公園施設で、ウォールクライミング初心者講習を三千円くらいで受けることができるという紹介記事が目に止まり、迷うことなく参加を申し込んだ。

 

気になっている駆け出しアーティストとは、R!Nさんという若い女性のシンガーソングライターのことなのだが、半年ほど前に彼女がツイキャスで弾き語りをしているのをたまたま聴いた時に、その歌声に完全に心を奪われてしまって、これはライブで聴いたらさぞかし感動できるだろうなと思ったのがそもそものきっかけだ。

調べてみると、東京の方でよく路上ライブをされているらしいのだが、僕は関西在住なので参加することは難しいので半ば諦めていた。ところが、ツイキャスでそんな話をした後しばらくして、大阪の中之島のイベントで彼女が路上ライブをやるという情報が入ってきて、それが来週なので参加してこようと思っている。

 

小説については、創作というものがどういうものなのか自分でもよくわかっていなくて、そういうことについて学ぶことができるような場所があればよいなと思っている。

そこで、小説を書く上での技法を論理的に教えてくれるような教材や講座が世の中にないかどうか、意識して探すようになった。

書き始めるための環境を構築するというか、まだぜんぜんそんな段階なのだが、それでもツイキャスであんな話をしなければ、そういう動きを自分がすることも全くなかっただろうと思う。

 

と、まあこんな感じで、ツイキャス配信で僕が話したことが、ぼちぼちと実現に向けて動き出している。ここまでこれを書いてきた僕が思うに、何かやってみたいけどちょっと躊躇しているようなことがあれば、それを人前で思い切って声に出して言ってしまうということは、わりと大切なことなのではないかということだ。

なんとなくやってみたいなとか、そういいうことを心の中であいまいに留めておくと、そのままぼんやりとした状態のままで立ち消えてしまう。誰かが聞いてくれている場所で声に出して言うことで、改めて自分の潜在意識に強く刷り込まれて、実現に向けて体が動き出そうとするし、それに伴って、周囲の環境も自分の動きに呼応して助け舟を出してくれるような感覚が得られるのだ。

嫌なことノート

最近困っていることが一つあって、それは何かというと、仕事をしている時や、家で一人でテレビを観ながらぼんやりしている時なんかに、ふとしたはずみで過去に経験した嫌な出来事を思い起こしてしまって、鬱々としてしまうのだ。

そういう時はたいてい初めに、過去に誰かから言われた嫌な言葉が、その声の感じやトーンまで含めた微細なところまでキレイに脳内で再生される。
そしてそれをトリガーとして、嫌な記憶の全体像がゆっくりと蘇ってきて、心の中が重い空気に支配されてしまう。
どうせ思い出すなら自分にとってよい記憶を思い出せばいいのに、何故か心に浮かんでくるのはネガティブなものばかりなのだ。
これは、もしかしてなにか精神的な病気なのだろうか。そう思ってしまう。

 

そのことを、心理関係に詳しい知人に相談してみたところ、どうもそれは僕が「過去の嫌な記憶」を、自分の中で消化しきれていないからだと説明された。
例えば、嫌な経験をした時に、その経験を10だとしたら、経験した当時は、その内の2~3くらいしか自分の頭では処理しきれていないらしい。そして、その処理しきれなくて残された部分については、記憶の中の冷凍庫みたいな場所にずっと保管されていて、それが後々になって解凍されてリアルな形で蘇ってくるのだという。記憶のメカニズムって、そういうものらしい。
だから、僕はその冷凍庫に保管されている嫌なことの残りカスみたいなものを、今一度きちんと自分の中で処理しつくしてしまえばよいのだと言われた。

 

具体的には、「嫌なことノート」を作れば効果があるらしい。
「嫌なことノート」とは、新しいノートを一冊用意して、その1ページ目に今までの人生で経験した一番嫌なことを書いて、2ページ目以降で、その嫌なことにまつわる自分の考えをひたすら書き倒していくのだという。そしてそれを、もう何も書くことが出てこなくなるまで続ければいいらしい。
そうすることで、自分の頭の中で記憶とそれにまつわる情念みたいなものがうまく浄化されていくということなのだろう。

 

なるほど理屈はよくわかる。けど、そんな恐ろしいノートを作り始める度胸は、今のところ僕にはない。人生で一番嫌だった記憶について、紙に文章として残すなんて、間違ってもやりたくないなと思う。
僕はこのブログでもたまに過去の苦い経験について書いたりすることがあるけど、あんなのはまだまだ序の口なのだが、それでも書いていて苦しい気持ちになってくることがよくある。文章を通じてじっくり自分と向かい合うということは、それなりに体力も気力も消耗する。そのことがよくわかっているだけに、今の僕には「嫌なことノート」を書き始めることなど、到底できそうもない。
たぶんそれって、もっと歳を取って老年期にさしかかった頃になって初めて、「死を迎える準備」としてやるようなことなんだと思う。俗に言う、「終活」というやつだ。
だから、まだまだ僕にとっては「嫌なことノート」を書く必要はないのだ。
もっと違った形のアプローチで、過去の忌まわしい記憶と対峙していこうと思う。

死のイメージ

最近、仕事中にPCのモニタを凝視していると、目の前に糸くずのようなものがチラチラ飛んでいるのが見えるようになってきた。
これはなんだろう?と一度気になりだすと止まらなくなってきて、何か悪い目の病気だったらまずいので、先日眼科を受診してきた。
医者からはあっさりと、「飛蚊症ですね。」と言われた。
詳しく話を訊くと、僕の目自体には特に異常はなく、ただ単に眼球が老化して濁ってきているから、糸くずのようなものが見えてしまうらしい。
これは病気ではなく、ただ単に老化現象ということなので、特に治療する必要もないそうだ。
とは言うものの、常に汚れたレンズを通して世界を見ているような気がするのは、なんとも気分がいいものではない。
ネットで調べたところ、レーザーを当てて治療したりすることもできないことはないらしい。
それはそれで検討してみるとして、僕はそんな治療法うんぬんのことよりも、医者から老化だと言われてしまったことに、微妙に心のひっかかりを感じていた。

 

そのこととは別に、僕は以前から奥歯の調子がよろしくなく、現在も治療を受けている。この奥歯についても、もう根っこのところにヒビが入っている状態らしく、早いうちに抜いてしまった方がいいと医者から言われている。
どうも僕はもともと顎の噛みしめる力がとても強いらしい。普段の生活の中でも、寝ている時や仕事で集中している時などに、かなり強い力で奥歯を噛み締めているらしく、それが奥歯にとってよろしくないらしい。
これについても、若い頃にはそんなに問題になっていなかったのが、齢をとることで歯が老朽化してきて、顎の噛み締める力に耐えられなくなってきているのだろう。
やはりこれも、一種の老化なのではないだろうか。

 

そんなわけで、最近、「老いる」ということに対して、すごく自覚的になってきた。
僕らは、死ぬ直前まで元気で健康な体でずっと過ごすことなんてできないのだ。
こんなふうにして目も徐々に悪くなってきて、歯もだんだんと抜けていって、今はそういう表面的なところから老化が進んできているだけで済んでいるけど、その内、心臓とか脳とか、クリティカルなところにもダメージが出てきて、つまりはそういうことを含めたすべてが、「老いる」ということなのだろう。
生きながら、徐々にゆっくりと死へ向かって進んでいくようなイメージだ。
「死」の前に、なだらかな「老い」という坂があって、それは誰にも避けることのできないことなのだが、そのことを、だんだんと自分の身をもって理解させられていくことに、これからなっていくんだと思う。

飲み会を憎んでいた

僕はかつて、「飲み会」を憎んでいた。会社とかでよく催される、あれである。
僕が若い頃に勤めていた職場では、「飲み会の幹事をそつなくこなすことができるようになって、初めて一人前だ。」という空気というか、文化のようなものが流れていて、誰一人それを疑っていなかった。
その職場で新人だった頃の僕は、毎月のように開催される飲み会の度に、出欠取りや会費集め、当日の司会進行などをやらされることになる。
学生時代の飲み会とは違って、職場での飲み会は少しも楽しくはなかった。料理は全然食べることができないし、年配の人達のくだらない話につきあわなければいけなかったし、それでも安くない会費だけはきっちりと取られるし。
そんなだったので、イヤイヤやっていた僕の態度が周囲からは透けて見えていたのだろう。当時の上司や先輩が相談して、「飲み会幹事を鍛える為の飲み会」を毎月開催しようという話になり、その幹事を僕が任されることになった。
飲み会幹事の為の飲み会だって?正気とは思えなかった。
もはや何の為にこんなことをやっているのか全くわからなくなってしまった当時の僕は、どんどん疲弊していった。

 

やがて僕も少し歳をとって、そういった飲み会の席での幹事を任されることはなくなった。
それでも僕は、職場の飲み会に対するイヤなイメージが頭からこびりついて離れず、参加すること自体がストレスになっていた。
でも、全員が参加しなければならないという上司や先輩からのプレッシャーは強く、それらをストレートに跳ね返すことは難しかった。
そこで僕が考えたのは、飲み会の出欠確認の際に、「出席」にしておいて、参加費用もきちんと払い、飲み会当日になると無断で欠席して帰宅するという作戦だった。
そういうことをやると、職場からは浮いた存在となってしまうことがわかっていたにも関わらず、あえて僕はそういうことを繰り返した。
金を払ってでも、飲み会には行きたくない。そういう姿勢を周囲に向かってアピールすることで、僕はこの組織に根付いた文化にアンチテーゼを叩きつけているつもりだったのだ。
この行為は、上の方の人達の間で結構問題視されていたらしいのだが、かといって面と向かって僕に「そういうことをするのはやめろ」と言ってくるような人もいなかったので、僕はしばらくそれを続けた。
やがて僕も、そんなことをいつまでもやっているのがばからしくなってきたので、飲み会の出欠確認にはきちんと「欠席」で返すようになった。それで周囲からは何も文句は言われなくなった。これでいいのだと思った。

 

それから長い年月を経て、中年になった今でもそれは続いていて、僕は滅多なことでは職場の飲み会に参加することはしない。
昔と比べて、飲み会に対する憎悪や嫌悪感は薄れている。しかしそのかわりに、純粋に疑問として残っていることがある。
そもそも僕は、飲み会をやる意味がよくわからないのだ。
まず大前提として、会社には仕事をしにいっているということがある。仕事をして、報酬を得る。それ以上でも以下でもない。
別に友達や恋人を作りにいっているわけではないのだ。
むろん、仕事を通じて、友情なり愛情なり育むことができたら、それはそれでいいことだと思う。
だが、職場でのイベントを通じて、あえてそれを促すようなことをやる必要ってあるのかなというところが、ずっと疑問なのだ。
そんなこと気にせずに、もっと気軽に参加すればいいのにと思われるかもしれない。
でも、できないのだ。
若い頃に経験してきた苦い記憶のせいで、それは今ではすっかりややこしいものになってしまっているのだ。
それを考えると、いつもとても残念な気分になってしまう。

人生の輝き

僕は昔、無職だった時期に、介護ヘルパーの資格を取る為に専門学校へ通っていたことがある。今から5年ほど前のことだ。
その学校へは、ハローワーク職業訓練制度を利用して無料で通っていたのだが、当時そこで一緒に勉強をしていた人達と今でも交流があって、たまに飲みに行ったりすることがある。
彼らと再会する度に、お互いの近況を報告し合うことになるのだが、最近そこであまりいい話を聞くことが少ない。

 

50歳を過ぎて、勤めていた会社をリストラされて無職だったAさんという人がいる。
Aさんは5年前に専門学校を出た後から、近所のスーパーで品出しのアルバイトをずっと続けていたらしい。スーパーの品出しのアルバイトというと過酷なイメージがあるが、それを50代からやり始めて5年ほど続けてきたという。なかなか根性のある人だなと思う。
しかし、最近そのスーパーを解雇されて、また無職に戻ってしまったとのこと。Aさんはもう今年で60歳になるそうで、そろそろ隠居生活に入ってもよさそうなものなのに、奥さんとお子さんのことを考えると、まだまだ仕事は続けなければならないらしい。

 

旦那さんから受けたDVが原因で離婚していたBさんは、女手一つでお子さん二人を育ててきた。
5年前に専門学校を出た後は、介護施設でヘルパーの仕事をずっと続けていたが、2年ほど前に乳がんが見つかり、すぐに手術をして取り除いた。しかし最近、がんが骨に転移していることが発覚し、余命3年の宣告を医者から出されたらしい。
Bさんのお子さん二人は、最近成人を迎え、もう経済的にも自立されているとのことで、そこだけが唯一の救いなのだが、それでもこれからようやくのんびりと自分の人生を送ることができるとほっとしていた矢先に、そんなむごい宣告を受けて、とても気の毒に思う。

 

5年前に専門学校を出たあと、理学療法士になることを目指して別の専門学校に通っていた40代のCさんという人がいる。
昼間は介護関係のアルバイトをしながら、夜間の専門学校に通って、そこを卒業するまでに4年ほどかかるらしいのだが、40歳を過ぎてなにかになろうとして新たに勉強を始めるなんていうことは、普通の人にはなかなかできることではないと思う。
僕はそんなCさんのことが気になってずっとどうなるのか様子を見守っていたのだが、最近になって病気の弟さんの介護をする為に、しばらく学校を休学していたことがわかった。その弟さんも先月亡くなったために、これから自分はどうしていこうか考え中とのこと。

 

AさんもBさんもCさんも、5年前の無職だった頃に、なんとかして自分の生活を立て直そうとして、僕と同じ専門学校に通っていたのだが、その後一見すると生活が安定軌道に乗っていたように見えて、やはり時間が経つと色んな所にほころびが出てきて、結局また苦しんでもがいているような感じになっている。
みんな40代から50代の人達ばかりなのだが、そのくらいの年齢になったら、男性なら普通に会社勤めをして毎月安定したお給料を貰っていて、女性だったらたまにパートをしながら家事に専念するといったイメージが強いが、なかなかその通りになっている人ばかりではないのだということを思い知らされた。
それでも、彼らのことは傍らで見ていて、とても立派だと思うし、よく投げ出さずにやっているなと感心する。
その生き様はとても美しいと思うし、輝いている。
そうやって懸命に生きている人達の姿を、これからも僕は真剣に見守っていきたいと思う。

生活保護の受給者に思うこと

知り合いに、生活保護の受給者がいる。

その人の年齢はだいだい僕と同じくらいなのだが、複数の持病を抱えている為に定職に就くことができずに、もう何年もの間、国から生活保護の支援を受けながら、自宅でゴロゴロするだけの暮らしを送っている。
彼に将来の夢を尋ねると、「生活保護の制度がこのまま変わらずに、支援が未来永劫続いてくれること。」だと胸を張って答えてくれる。
なんというか、こういうのを見ると、ものすごくモヤモヤしてしまう。
テレビや雑誌などのメディアで生活保護制度が取りあげられる度に、こういう感じの人が最近すごく増えているという情報を目にするのだが、実際にお目にかかったのは初めてだったので、なんだか色々と考えさせられてしまった。
確かに、こういう人が一念発起して、コンビニなどでレジ打ちのバイトを始めたとしても、月に15万円も貰うことができるかどうかといったところだろう。もうそれだったら仕事なんて何もせずに、このまま今の状況に甘んじてしまうのが自分にとってはベストな選択だと判断してしまうのも無理はないと思う。
それよりも僕が問題だと感じるのは、彼と接していて一番強く感じることが、「自分の力でなんとかしようとする気力」が彼の中に全くといっていいほど存在していないということだ。
何か身の回りで問題が起こった時に、それを自分で解決しようとすることはせずに、あくまで人頼みで、自分に手が差し伸べられるのをただひたすら待っているだけなのだ。もしかすると、他人を自分のために利用することしか考えていないのかもしれない。そんな印象すら受けてしまう。
その根底には、自分は不幸な身の上なのだから、社会から支援を受けて当然なのだという考え方がにじみ出ていて、彼のそういう姿勢をみると、なおさらモヤモヤに拍車がかかってしまうのだ。

 

話はちょっと変わるが、僕の別の知り合いで、かつて生活保護を受給していた経験を持っている人がいる。
その人は、妻一人子一人を抱えている同年代の男性で、フリーランスのITエンジニアをやっている人なのだが、ちょうどリーマンショックが起きた頃に、受注できる仕事が激減してしまい、その日食うにも困る状況に陥ってしまったそうだ。
その時期に、やむなく生活保護を受給していたそうなのだが、彼はその後、奮闘の甲斐もあって仕事が元の状態に戻り、支援を受けなくてもやっていけるくらいにまで立ち直ることができたらしい。
僕が思うに、生活保護というものは、こういう使い方をするのが正しいのではないだろうか。
どうしようもなく生活が困窮してしまった時に使える最後の支援手段として活用し、しかしその支援に100%頼り切ってしまうのではなく、そこから這い上がっていこうとする気概のある人に向けたサポート手段であるべきだと僕は思う。

 

だが、今の制度のままだと、先に挙げたような、「現状に甘んじてしまうだけの人」が増加していく一方だろうと思う。
そこで、生活保護には期限を設けることにした方がよいのではないかと思う。その期限を超えて利用している人には、支援を打ち切るのではなく、制度の適用を若干変えていくようにすればよいと思う。
例えば、3年以上受給し続けている人に対しては、家賃の援助を打ち切るのだ。そのかわり、その人達に対しては国が住む場所を提供し、4人部屋のようなところで生活してもらうなど、最低限の住環境は保証するようにすれば問題ないのではないかと思う。
そうすることで、受給者自身に対して、「このままではまずい」という危機感のようなものを植え付けることができるだろうし、それを機に、自立に向けたアクションを起こす人も出てくるのではないだろうか。
ちょっと極端なことを書いてしまったので、もしも生活保護を受給している人がこれを読んだら非難轟々だろうが、そろそろ制度を期限によって見直していくという視点を取り入れてもよいのではないかと真剣に僕は思っている。
でないと、冒頭で述べた彼の今後の人生が、残念すぎるような気がして仕方がないからだ。