坂本から君へ

さかもとのブログ。自分語りとか世間話とか。大阪にいる。

VRの中で生きていきたい

去年あたりから、VRVRと世間で騒いでいて、自分もプレステVRをやってみたいなとずーっと思っていたのだが、現時点でもまだまだ入手困難な状態が続いているようで、全く市場に潤沢に出回る気配がない。
そこで、スマホをセットして使うVRゴーグルというものがあるけれども、あれってどんな感じなのかな?と、ふと気になって色々調べてみたところ、とりあえずVRがどんなものなのかお試し的に体験してみるにはちょうどよいものであるらしい。値段も2〜3千円から手に入るとのことで、それなら迷うような価格でもないので、とりあえずアマゾンでポチしてみた。
ゴーグルが家に届くまでの間、VRでいったい何を観てやろうかと色々探してみたのだが、そこはやっぱりエロでしょう。まずは、人間の欲望と最もダイレクトにつながっている分野で、どんなものなのか試してみるのが一番わかりやすいのだ。

 

そんなわけで、DMMでVRエロ動画を漁ってみた。
VRなので、当然どの作品も主観視点の映像になるのだが、実は僕はこの手のコンテンツがとてもとても好きなのだ。エロではない普通の映画でも、「REC」とか「クローバーフィールド」などのPOVモノは大好物だし、ゲームでもFPSは黎明期の頃から相当やり込んできている。
ただでさえ好きな主観モノのコンテンツが、VRゴーグルによってブーストされたら、いったい僕はどうなってしまうのだろう。そんなことを考え、ワクワクしつつDMMのサイトを物色していると、「王様ゲーム」をテーマにしたAV作品に目がとまった。異常に評価の高いその作品の視聴者レビュー投稿に目を通してみると、『主演の女の子のことが好きになってしまいました。 』 とか、『最後まで見終わってゴーグルを外す時の現実に引き戻される感覚が悲しくてたまらなかった。』 とか、オイオイこいつら大丈夫なのかよと思ってしまうほどに、マジで心ごともっていかれてしまっているような感想が並んでいた。
視覚と聴覚からうまく脳をハックして人間を騙してしまうのがVRだと思っていたのだが、この界隈のユーザーの意見を眺めていると、すでに人間の精神にまで侵食してきているような気がして、なんというかこれはもうますます期待が高まってしまうではないか。
なんでも件の作品は、二時間の前振りシーンと、一時間の本番シーンで構成されているらしい。
これはどういうことなのだろうか。よくドラマ仕立てのAVを観るときに、いつも早送りで飛ばしている部分が二時間も続いて、その後に本編が始まるということなのか。しかし、レビュー投稿によると、どうもこの前振りの部分が非常によくできているらしく、ここで主演の女の子二人と王様ゲームをしているうちに、こちら側の気持ちがぐっと入り込んでいってしまうらしい。
そんなこんなで、この作品にとても興味がわいた僕は、買ってみることにした。

 

ほどなくしてVRゴーグルが自宅に届き、スマホをセットしてさっそく観てみた。
映像が始まる。どうも自分の部屋に、男友達が街でナンパして捕まえた女の子を連れてきたという設定らしい。
初めてゴーグルを装着してみた感想は、レンズを通して立体の世界を覗き込んでいるような感じが強く、それほど没入感というか、その場所に自分の身体が入り込んでいるという感覚は薄いように思った。
それでも、女の子がこちらに目を向けて話しかけてきた時には、ちょっとドギマギしてしまった。若い女の子と目があって、そこから声が聞こえてくると、男の本能的な部分が揺さぶられるような感じがするのかな。
しばらくすると、4人でお酒を飲みながらの王様ゲームが始まって、ここから色々と軽いタッチのエロが始まるわけですよ。
途中で何度か、女の子の顔がこちらに向かって近づいてくるシーンがあって、そこでやけにリアルな臨場感を感じてしまった。普段そんなに人の顔が目の前に近づいてくることなんて滅多にないので、これにはちょっとヒヤヒヤさせられてしまう。
他にも、女の子に耳元で囁かれるところでは、息遣いが身近に感じられて自分の耳がこそばゆくなってきたりして、ゆっくりとではあるが着実にVRの世界に没入し始めている自分に気づいた。
王様ゲーム終盤で、自分の股間を弄り回されている場面で、首を下に向けて自分の股間を覗き込むと、女の子の手が自分の股間を弄っているのが見えて、この「首を下に向ける」というアクションが、脳を騙すのに一役買っているのかなと思った。
そして肝心の本番シーン。これが素晴らしかった。主観視点なので、騎乗位がメインになってくるのだが、首を動かして見上げると、喘いでいる女の子の顔が目の前にあって、正面に視線を戻すと揺さぶられる胸が見える。やはりこの、「視点を動かすことによって世界を認識する」という行為が、没入感に繋がっているのだろう。

ここでは自分の心臓が高鳴っているのがわかり、本当にVRの世界に自分の身体が溶け込んでいってしまっているかのような錯覚を味わうことができた。

 

いやーこれはもう戻ってこれなくなってしまうね。
これから、VR世界の女性に恋をしてしまったりとか、もう現実の世界なんて必要ないと考えてしまうような人が出てきてもおかしくないのではないか、そんな危険な未来を感じさせられてしまう体験でした。
もっと技術が進んで、全身を覆うようなスーツで触覚を再現できたり、鼻や口に装着することで匂いや味なんかも再現できるようなデバイスが登場したら、容易に僕たちの五感なんてハックされてしまいそうな気がする。
とにかく、これは今のところ4千円程度で体験できる非日常なので、この記事を読んでいるみなさんにはぜひ試してみていただきたい。
僕はプレステVRで、さらに一歩先を目指そうと思う。

無職のつらさ

みなさんは今までの人生の中で、無職というものを経験したことがあるだろうか。

僕は40歳を過ぎてから、1年ほどだが会社などの組織に所属せずに、ただ家で毎日ゴロゴロしていた時期がある。

 

無職の生活を始めた最初の頃は、毎日あくせく働かなくてもよいなんて素晴らしいことだと思っていたが、そんな生活を半年ほど続けていると、しだいにぼんやりとした焦燥感のようなものに気持ちが晒されていくことになる。
この「焦燥感」について細かく分析してみると、これには大きく分けて三つの要素が含まれていると思う。

 

まず一つ目は、「退屈」だ。
とにかく毎日時間が有り余っていて、持てあましてしまうのだ。
観たい映画や読みたい本なども、そうそう次から次に自分の目の前に現れてくれるわけでもない。
日々、なんとなくパソコンやスマホをいじっていて、眠くなったら昼寝をして、目が覚めたらまたパソコンの前でぼんやりしてという生活を繰り返している内に、どんどん自分が人として間違った方向に進んでいるのではないかという気持ちにさせられて、焦ってくるのだ。

 

二つ目は、「孤独」だろう。
家族がいればまだなんとかなるのだが、もし一人暮らしの人が無職になってしまったら、それこそ朝から晩まで一日中誰とも口をきかずに過ごすことになってしまう。
これもやはり相当つらい。他人と繋がっているという感覚が得られないと、人はおかしくなってしまうものなのだ。

 

そして最後は、「貯金が目減りしていくこと」だ。
無職の間は当然、収入がなくなってしまうので、その間は貯金を取り崩して生活していくことになる。
これが地味にジワジワと精神的な恐怖感を与えてくれるのだ。
命が削られていくのが数字として常に見えているような感覚と言えばわかってもらえるだろうか。このプレッシャーに耐えられる人はなかなかいないのではないかと思う。

 

以上三つが、無職でいる時期に僕が味わっていたつらさの正体だと言える。
こういうことを考えていると、かのphaさんが昔どこかで「無職でいる為には特殊な才能が必要だ。」と話していたのを思い出す。
これは、無職の状態をキープするには、並大抵の精神力では持たないということなのだろう。

 

今の僕は普通に会社勤めをしているので、この種のつらさや焦燥感からは逃れることができているのだが、実はこれとはまた別の観点から怖いなーと思っていることがある。
それは、これって会社を定年退職した後の、老後にやってくるつらさとほぼほぼイコールなのではないかということだ。
僕のような、会社と家庭の往復だけで日々過ごしている人にとっては、その生活から抜け出した後に待っているのはまたあの、「退屈」で「孤独」で「貯金が目減りしていく」だけの日常になってしまうことが予想される。
これはやはり相当まずいのではないかと思う。

 

そうならない為に、あらかじめ予防線を張っておく必要があるなと最近強く感じている。
会社と家庭以外にも、なんでもよいので自分の所属できる居場所をつくっておいたり、本当に貰えるのかどうかよくわからない国の年金以外にも、なにか別の形で収益を得ることができるような仕組みを作っておく必要がある。
これは本当に、今のうちから危機感を持って対策をとっておかないといけないなと思う。

ブログに書けない話

ブログを三ヶ月も更新していない。

 

このブログでは、僕がかつて経験したことや、その時に考えていたことなどを、当時の風味をできるだけ損なわないようにして、ありのままを再現して読者に伝えていくということを意識しながら書いてきた。
でも、そうやって自分の内面を切り取っては貼り付けてという作業を繰り返すうちに、自分の中の最もダークな部分に行き当たってしまうことがあって、その部分を文章化しようと奮闘している内に、ポキリと気持ちが折れてしまうことがある。

 

くやしいのだが、どうしても書けない話というのはあるものだ。

 

今年の春くらいから、そういう類の話を書き始めては挫折してというのを、何度か繰り返している。
とは言っても、それらは別にたいした話ではない。大学を出て新卒で就職した会社を一ヶ月で辞めてしまった話だったり、結婚の約束までしていた恋人と別れることになってしまった話だったり、どこにでも転がっているような、よくある挫折話なのだが。
それでも、その逸話のどれもが、今の僕の生活に対して深く暗い影を落としていることは間違いない。


書けないのだ。

 

そういったやっかいなものを、自分の頭の中から外に追い出すことができれば、どれだけすっきりすることだろう。冷静に言語化できるまでに、自分の中で整理のついた出来事になってはくれないだろうかと思い悩む。
いつかは書ける日がくるのだろうか。それらが無事に文章の形をとり、人目に触れる状態になった時には、僕はもうこの世になにも思い残すことなく、後にすることができるような気がしている。

 

とりあえずしばらくは、自分の内面の奥深くに肉薄することは止めておいて、ここ最近読んでいた本や、観た映画のことなど、当たり障りのない記事を書いていこうと思っている。

25年前の自分にスマホを見せてみた

「さっきジョギングしてた時、ずっとそれを耳につけてたけど、いったい何なの?」

彼はそう言いながら僕の手元を覗き込んできた。
「ああ、これか。これで音楽を聴いてたんだよ。」
「この耳栓みたいなやつで?へぇ、こんなので音楽聴けるんだ。これのどこに音楽が入ってるの?」
「このスマホから電波を飛ばして、こっちの耳栓から音楽がなるようになってるんだ。」
スマホって、この薄っぺらい板みたいなの?なるほどここに音楽が入ってるってことか。僕がいつも使ってるウォークマンに近いな。でもカセットとかCDとか入れるところがないけど、どうやって音楽が入ってるの?」
「うーん。それは説明が難しいな。実はこのスマホに音楽が入ってるわけではなくて、音楽自体はデータの形で、ここではないどこか別の場所のコンピュータに置いてあるんだ。そこから音楽データが電波に乗ってこのスマホに飛んでくる。スマホはその受信したデータを再生して、この耳栓にまた電波で飛ばすんだ。」
「へぇ、未来の世界って何でも無線になってるんだね。それにしてもカセットとか持ち歩かなくていいのはすごく便利だわ。」
「いまの僕の部屋にはCDもカセットも1枚も置いてないよ。それでもアルバム1000枚分くらいの音楽が、どこかのコンピュータに置いてあって、いつでも好きな時にそこから取り出して聴けるようになっているんだ。」
僕がそう言うと、彼は目を白黒させて驚いた。

 

 

「なんだかすごい世界になってるのはわかったよ。ところでこのスマホっていう機械は音楽を聴く以外にも色んな事ができそうだね。他にどんなことができるの?」
「そうだな、写真や映像を撮ったりするカメラにもなるよ、これ。」
「すごいなそれ、もう『写ルンです 』 とかいらなくなったんだね。でもこれってどうやって現像するんだろう。」
「現像するっていう行為自体がもうあまり一般的ではなくなってるんだよ。撮った写真はそのままスマホで見たり、世界中の人が見れるように公開したりできるんだ。」
「ちょっとまって、なんでそんなことするの?写真とか、そんなプライベートなものを、なんで赤の他人が見たりできるんだ。わけがわからない。」
僕は苦笑いしながら説明をするはめになる。
「自分が撮った写真を、そういう使い方をする世の中になってるんだ。もちろんそうすることで色んな問題も起こってるよ。友達同士でふざけて撮ったプライベートな写真が、不特定多数の人達の間で出回ってしまって、永遠に回収できなくなってしまったケースなんてたくさんある。結局は、それを使う人間のモラルに全てが委ねられるというわけさ。」
そう伝えると、彼はなんだか困ったような表情をして考え込んでしまった。

 

 

「まあ、今の君にはちょっと難しいかもしれないね。今言ったような音楽や写真以外にも、もっと便利な使い方もできるんだよ。例えば、わからないことや疑問に思うことがあったら、それをスマホに伝えると、いい感じでいろいろと教えてくれるんだよ。試しに『関東 ラーメン屋 おすすめ 』って入れてみるとしよう。ほら、出てきた。 」
「うわ、このあたりのラーメン屋の情報が一杯でてきたわ。地図まで表示されてる。これっていったい誰が教えてくれてるの?神様みたいなものなのかな?」
「はは、違う違う。うーん。これも説明が難しいな。昔は集合知とか言ったりしたんだけど。とにかく世界中の色んな人達が、そこには専門家も素人も混ざってるんだけど、それぞれが思い思いに自分の経験や知識を披露している場所があって、そこから自分の欲しい情報を取ってくることができるようになっているんだよ。もちろん、ウソや紛らわしいものも含まれていて何が本当なのかよくわからなくなってくることもある。でもそこから自分にとって必要な情報を取捨選択していく力が、今の世界では重要だと言われているね。」
「ふーん。やっぱり僕には少し難しいよ。でも、これを使っていると、まるで神様と対話しているような気になってくるよ。全知全能というか、ホントにそんな感じ。」

 

 

そして僕は、彼が一番驚きそうな事実を伝えてみることにした。
「もともとこのスマホっていうのは、君の時代でいう『電話 』 がベースになっているんだ。他人と音声通話するためのデバイスとして生まれたものに、次々と機能追加していって、今のこんな形になったんだよ。」
「え?本当なの?それって。それだったら、もっとボタンとか一杯ついていて、ゴテゴテしてしまいそうな感じがするけどな。こんなシンプルな、手のひらに収まるようなサイズにまで凝縮して、誰もが手にすることができるように普及させているって、すごいことだよね。」
「あぁ、確かにそう言われてみれば、すごいことだよな。」
「僕も早く君の時代にたどり着きたいよ。今から楽しみになってきたな。」

 

 

こういったデバイスだけを見ていると、いい世の中になったよなとは思う。
まだ何も知らない純粋な自分を見ながら、僕はそう思った。

お金を稼ぐということ

僕は20代の前半から30代の半ばまでずっと、とあるIT系のベンダーに勤務していた。

およそ15年ほど、クライアントの会社にSEとして常駐し、お客さんからの依頼に応える形で社内システムのメンテナンスをやっていた。
そこでの僕は、毎日毎日、空から降ってくる仕事をひたすらこなせば、やった分だけ給与という形でお金が貰えた。いつしかそれが当たり前のことになってしまっていて、毎月の給与を手にすることになんの感慨も得られなくなってしまっていた。
収入面ではとても安定していたし、何の不満もなかったのだが、その代わりになにか致命的な物足りなさを感じていた。
このまま自分は、クライアント企業の社内システムを維持していく立場のままで、一生を終えることになるのだろうか。
つまりは、よその会社が存続していくためのお手伝いをしていくだけの人生なのかと思うと、とてつもない虚無感が胸に押し寄せてくるのだ。
もっとこう、自分の力で商売を回すという経験がしてみたかった。ものすごく単純な言い方をすれば、自分の力でお金を稼いでみたかったのだ。
そう思った僕は、いつまでもベンダー側にいるのではなく、クライアント企業のような事業会社へ転職するべきだと考えるようになり、そういう会社を求めて転職することを決意する。

 

 

その時の僕はすでに30代の後半になっていたにも関わらず、運良く潜り込むことのできた会社があった。
全国の百貨店に店舗を展開している、名前を出せばたいていの人が知っている知名度のある会社だった。それですっかり安心して転職したつもりだったのだが、入ってみて驚愕した。
電話会社から毎月のように、口座の残高不足で電話料金の引き落としができなかったと苦情が入ってきたり、税務署から滞納している税金の督促の電話がしょっちゅうかかってきたりと、その実態は、毎月の資金繰りにあえいでいる中小企業そのものだった。
ベンダー勤務時代には、電話代や税金を会社が支払っているという意識など全くなかったのだが、その会社に転職してからというもの、そういうお金にまつわることの一つ一つがリアルに肌で感じられるようになった。
全国の店舗から上がってくる売上や、従業員に支払う給与など、色んな種類のお金が実際に会社の中を循環しており、もしもその流れが止まってしまうことがあるとしたら、その瞬間に会社は死を迎えてしまうということに気がつく。

 

 

ある時、僕が会社でデスクに向かって仕事をしていると、社長がどこからともなく近づいてきて僕にこうささやいた。
「さかもと君、今月の給与のことやねんけど、ちょっと待ってもらうことってできへんか?」
ちょうど月末で、運営している全ての店舗の営業成績を締める作業をしている時だった。
「今日は月末やろ?今日中にあと2件ほど成約が入ってくれたら、さかもと君の給料なんとかできるねんけどな…」
その時、僕はわかってしまった。お金を稼ぐということは、そういうことなのだ。
今自分のやっている仕事の成果が、ダイレクトに自分の給与に影響してくる。
もし成果が出せなければ、本当になにも手に入れることができない。
泣き言を言っても、 たとえ野垂れ死んでしまうことになったとしても、誰も助けの手を差し伸べてくれることなどないのだ。

 

 

幸い、その日の営業が終わる頃になって、滑り込みで2件の成約が出たと店舗から連絡があった。
「よかった。これでさかもと君の今月の給与出せるわ。ちょっと飲みに行こか。」
その後、安い居酒屋に連れて行かれ、そこで社長と飲みながら話をしている時に、こういうことは日常的に起こっている、つまりは給与の遅配がめずらしいことではないということを知らされた。
「もちろん私なんか、いつまで待たされても問題ないよ。」
そうつぶやく社長を見ていて、もしかするとこの人は無給で働いている時期もあるのではないかという疑いを持ってしまった。
それまで時折、この社長が周囲の社員に対して常軌を逸したキレ方をしている姿を目撃することがあったのだが、そういう行動もうなずけるような気がした。会社の収益と自分の懐が、正に直結しているからこそ、そこまで本気で必死にアツくなれるのだ。
お金を稼ぐとは、人間性まで変えてしまうという意味で、とても恐ろしいことなのかもしれない。

 

 

その会社には2年ほど勤めた後、色々あって結局辞めることになった。
辞めた一番の理由は、そういうお金儲けにまつわる諸々の重圧に耐えられなくなってしまったからだった。
今の僕は、昔のITベンダーに戻り、ぬるい日常を送っているのだが、時折あの頃感じていたヒリヒリと焼け付くような感じを思い出して懐かしくなることがある。
お金を稼ぐとはどういうことなのか。それをいつまでも忘れてはいけないと思って、今の僕は副業に手を出したりしているような気がする。

僕が考えた最強のネット通販

前回の記事ではブログ収益について少し話したが、僕はそれ以外にもサラリーマンの副業として興味を持っていることがひとつある。

それは、商売としてはとてもオーソドックスなのだが、「ネット通販」だ。
ネット通販と言えば、どこかから商品を仕入れてきて、それに利益分を上乗せしてまたどこかで売るという、ただそれだけのことなのだが、そのやり方は色々あって、世の中には実に様々な形態のネット通販が存在する。
ブックオフリアル店舗仕入れたものをヤフオクで売ったり、海外のアマゾンで買ったものを日本のアマゾンで売ったりと、せどりやネット輸出入などと一般に呼ばれる手法があって、書店のビジネス書コーナーに行くと、その手の攻略指南本がたくさん並んでいたりする。

 

 

ただ、やることは本当にシンプルな物販なので、そこには仕入先や顧客との間で商品やお金のやりとりが頻繁に発生する。そのため、非常に手間がかかるといったイメージがついてまわる。
また、売れない不良在庫を大量に抱えこんでしまってにっちもさっちもいかなくなる可能性もある。これについては、「何を売るのか?」という選択に全てがかかってくる為に、とても難しい問題だと言えるだろう。
ネット通販はいつかやってみたいと思っているのだが、始めるにあたってこれらの点がとても不安に感じられてしまって、なかなか最初の一歩を踏み出せずにいる。
逆に言えば、これらの問題さえクリアされるならば、始めようという気持ちになれるかもしれない。

 

 

商品やお金のやりとりが面倒だという点については、商品の出品先にアマゾンを利用するとして、FBAという仕組みを使うといくらか楽にできそうな気がしている。アマゾンのサイトに出品する際に、あらかじめアマゾンの倉庫に売りたい商品を発送しておくと、サイトでその商品が売れた際に、顧客への配送と集金をアマゾンが代行してくれるというものだ。
実は、アマゾンFBAに商品を発送・登録する作業すらも、それを代行してくれる業者というものが世の中にはあって、仕入先からその業者に直接商品を転送するようにすると、一度も商品の現物に触れることなく商売を回すこともできそうだ。物販なのに現物商品を扱わないとなると不思議な気持ちになってくるが、個人でもこういう外注サービスを駆使することで、それが可能になるのだ。
ただし、こういうサービスを利用するには、それなりに手数料がかかるし、本当にそんなにうまくいくものなのかどうか、実際にやってみないとよくわからないところはある。

 

 

そして最大の問題なのだが、「何を売るのか?」ということについてだ。
これに関してはちょっと考えていることがあって、それは、アマゾンなどの通販サイトに掲載されているデータを日々監視して、そこから売れ筋商品を自動的に判定するシステムが作れないかということだ。例えば、アマゾンで売られている商品データをスキャンして、前日の在庫数との差分を取れば、どれが今たくさん売れている商品なのかを把握することは理論的に可能だ。あとは、その時その時の売れ筋商品のみに的を絞って仕入れと出品を繰り返せばいいだけの話で、今一番売れているものを売っているのだから、不良在庫を抱えるリスクも相当減らすことができるだろう。
これなんか、発注のところをうまくシステム化すれば、ほとんど頭を使わずに半自動でサクサク商売を回していくことができそうな気がしている。システムからの「今これを売買しなさい」という指示に従って取引していけばいいので、これは株の自動売買システムに近いものがあるかもしれない。

 

 

というのが、僕が考えているネット通販で稼ぐ仕組みだ。
物販というとものすごく手間がかかるようなイメージがあるが、僕がイメージしているような仕組みを実際に構築することができれば、人の手が入る余地のほとんどない、非常にスマートなネット通販ビジネスができそうだ。
ブログ収益と同じように、最初だけ一生懸命頑張っておけば、後は長期に渡って自動でどんどんお金を稼いできてくれるような仕組みが作れそうな気がしてきて、ちょっとワクワクしてしまう。

ブログ飯で生きていく

はてブホッテントリを眺めていて度々目にするのが、「今月は当ブログでこれだけ稼ぎました!」というような感じの収益報告のブログエントリだ。

そういうのを見かけるたびに、うらやましいなと思うと同時に、これってほんとなのかな?という疑問がいつもわいてくる。
ある時、そういうのが本当のところはどうなのか自分で確かめてみたいという思いを抑えきれなくなって、ブログから収益を得るということにチャレンジしてみたことがある。

 

 

その時に僕がやり始めたブログは、ある特定のカテゴリに属するおすすめの製品をひたすら紹介していくというもので、そこにアフィリエイトのリンクをぺたりぺたりと貼り付けながら、毎日のように記事を更新していったのだった。半年ほどそれを続けると、検索経由で人がたくさん見に来るようになってきて、だいたい月間7~8万PV程度のブログに育てあげることに成功した。
そして、肝心の収益なのだが、これが月に2~3万円程度はコンスタントに入ってくるようになったのだ。
およそ半年間、一日あたり小一時間程度の時間を使ってブログ更新を毎日続けて、200記事程度作成した後は、全く手を入れずに完全放置状態にしてある。
ブログ更新をストップしてから一年近く経過しているが、いまだに毎月2~3万円は確実に口座に入ってくるのだ。
これがいつまで続くのかはわからないが、今のところ、PVも収益も落ちる気配を感じない。もしかすると、このままの状態でずっと維持し続けてくれるのかもしれないが、もしそうなれば、不動産収入のような感じで、該当のブログは資産として非常においしいものに化けてくれたことになる。

 

 

今後、そのブログとはまた別のカテゴリで新たなブログを作成して、半年くらいかけて育てあげていけば、また同程度の収益を生み出すブログになってくれるかもしれない。そして、何年もかけてそういうお金になるブログを少しずつ増やしていけば、最終的にアフィリエイトだけで生きていくことも可能なのではないかという気がしてくる。
こういう風に、世の中の仕組みをうまくハックして、そこからお金を引き出していくのって、とても怪しい感じがするが、会社勤めする以外にも、お金を手に入れる手段を手の内に持っておくことは大切なことだと思う。

 

 

サラリーマンにとって、2万円という金額はでかい。
僕と同い年の妻子持ちの友人で、毎日の昼飯代に200円しか使うことができないとぼやいている奴がいるのだが、一般的な日本のサラリーマンはそんなものだろう。そこに毎月2万円の定期収入がプラスされるとしたら…毎日プチ豪勢な昼飯を食べることができそうだ。
というわけで、サラリーマンの副業として、ブログ収益というものは非常においしいなと感じる。
また、もし何らかの理由で突然職を失ったとしても、最悪、ぼくがやったような方法でどんどんお金を稼ぎ出すことができれば、それだけでも割りとなんとか生きていくことができるのではないだろうか。そういう保険のような意味合いでも、ブログ収益はおいしいと言えるだろう。

 

 

僕がやったことには、なんの文才も必要ないし、特殊な技能や知識が必要なわけでもない。
ただ、半年間毎日ブログを機械的に更新し続ける根気さえあれば、誰にでもできる再現性のある手法だ。
さて、そろそろここらへんでアフィリエイトのノウハウ教材の購入リンクが貼られそうな気配になってきたが、そういうことをやりだすと魂が濁っていきそうな気がするので、今日はこのあたりでやめておこう。