さかブロ

さかもとのブログ。自分語りとか世間話とか。大阪にいる。

インドの会社に勤めていた

僕は3年ほど前に、インドの企業の日本法人で働いていたことがあるのだが、その時に感じたことを、今さらではあるが書いてみたい。


そもそもなんで僕がインドの会社にいたのかなのだが、長年SI業界にいると「オフショア開発」という単語を耳にする機会が頻繁にあって、それがどんなものなのかちょっと興味を持っていた当時の僕は、謎のコネを使ってインド企業に潜入することに成功したのだ。
インドの会社とはいえ日本法人なので、社員はほぼ日本人ばかりで構成されているのかなと勝手に想像していたのだが、入ってみると社員の8割がたがインド本国から転勤してきている生粋のインド人ばかりだったのでビビった。
彼らとのコミニケーションは基本英語だが、僕はほとんど英語が話せない。そこで、通訳を担当するバイリンガルの日本人がチームに配属されていて、その人を間に挟んで彼らと会話することになる。
SIなので、基本的に客先常駐で勤務することになるのだが、開発チームの中でインド人10人くらいの中にぽつんと日本人の僕と通訳の人が紛れ込んでいるという、ちょっと今までとは勝手の違う環境での業務はとても刺激的だった。と同時に、戸惑うことも多かった。
以下、だらだらと感想を書いていく。

 

時間にルーズ

ミーティングの時間を事前に決めていても、その時間から始まることがあまりない。
遅れて始まるのならまだわかるのだが、結局やらずに終わってしまうことが多かった。
そういう時は、次の日になって、「昨日できなかったあの件のミーティングだけど、今日の15時から改めてやることにしよう。」と言われたりするのだが、その時間になってもやはり始まらずに流れてしまって、また翌日ループのケースにハマることがあったりする。
こういうのは日本企業に勤めていた頃はありえなかったので、かなり驚いた。
彼らは朝の出勤時間も結構いい加減な感じ(9:00の始業に少し遅れてくる。)だったので、これはやっぱりインドの国民性なのかなと思ってしまう。

 

頭がいいし、すごい前向き

ユーザーの業務アプリケーションの画面を触っていて、全て日本語表記で漢字とかも使われているにも関わらず、彼らはどの入力項目がどういう意味を持っているのかについて、完全に把握しているようだった。
漢字を使わない文化圏の人間が、漢字に慣れ親しむのは大変だと思うのだが、 彼らは頭がいいというか、とても勘が鋭いような感じで、なおかつわからないことがあってもめげずに前向きに理解していこうとするスタンスがあって、そこが素晴らしいなと思った。

 

フレンドリー

お昼ごはん用に、家で用意してきた弁当を持参してくるインド人がいたのだが、「君もこれを食え」とか言いながらチャパティをちぎって分けてくれたりすることがよくあった。「辛いだろう?」とか言いながら嬉しそうにしてる。
日本人って、大人になったらあんまりそういうことはしないのに、ものすごくフレンドリーだなーと思った。
向こうの食事はなんでもカレーの味がする。漬物とかでもカレー味。
あと、肉は絶対に食べないし、断食期間なのだと言って食事自体しない人もいた。宗教きつい。

 

飲み会が多い

これはなにか勘違いしているのかも知れないけど、客先の人間も含めた飲み会がやたらと多かった。
お客さんとも自社の人間とも仲間意識を強めて、うまく仕事を進めていこうということなのかな。
我々はクライアント企業に出入りしているただの一業者にすぎないわけだが、なにかそれ以上の関係性を構築しようとしているように感じられた。
僕は参加しなかったけど、お客さんも交えて山登りやUSJに行ったりしていたので、まぁそういうことなのだろう。
インド映画のラストで、敵味方揃って楽しくダンスして終わるというやつがよくあるけど、あんなノリなのかもしれない。これも国民性か。

 

通訳の人がいない時

契約の関係で、18:00以降は通訳の人が帰宅してしまうので、それ以降にインド人とコミニュケーションを取ろうと思うと、身振り手振りでやるしかなくなる。
正直これがとても辛かった。一日の終わりにさらにヘトヘトになってしまう。
やっぱり英語ができないとここでは生きていくのは難しいなと痛感させられた。

 

残業

入社前の面接で、「残業はしてもらわないと困る」と言われたのだが、労働契約書には残業手当は支払わないとはっきり書かれていた。これって労基的にOKなのだろうか?インドの法律だとこういうことは許されているから、その流れでこんなことになっているのかなと疑問に思った。
オフショア先のインド本国にいるメンバーと電話でミーティングすることがよくあるのだが、インド本国はまだ昼間でも、 時差の関係で日本では就業時間後であることが多く、この時間帯にミーティングすることが多かったので、必然的に残業が増える構造になっていた。
ちょっとこれは問題だなと思っていたけど誰にも相談できなかった。

 

自分の業務

オフショア開発なので、実際の作業はインド本国に投げることになるのだが、投げることのできるような作業はたいていルーティンワークばかりで、それ以外の非定型な、まぁちょっとやっかいな仕事は日本人である僕がやるという、そういう感じの分担になってしまっていた。

まぁ日本人のお客さんと細かい調整しないといけない場面で、インド人がでてくると間違いの元になるので、それは仕方ないのかなと。なので、どうしても難易度の高い仕事が僕にアサインされてくる。
クライアントの業務知識が皆無だった自分には、これもとても辛かった。

 

まとめ

インド人は頭がいいし、すごく前向きで、フレンドリーに接してくるところはとてもいいなと思った。
けれども残業の問題は今でも納得いかないし、英語が話せない自分にはコミニュケーションコストがかかるという非常にやっかいな問題があった。飲み会などの親睦関連行事が多かったりするのもかなりしんどかった。
なので、英語が普通に話せて、客先の業務知識に精通していて、定時後も無給でバリバリ働きたいという人にはオススメの職場だと思う。そういう人はもっとよい条件の仕事に就けばいいと正直思うのだが。

人はなぜ結婚式の写真共有サービスを作ってしまうのか?

先日、はてブを眺めていて「お、これは!」と思ったブログ記事があった。

結婚式の参列者がスマホで撮影した写真を、そこにいる全員で共有して閲覧できるようなアプリというかサービスを作ってみたというお話だ。

tomoima525.hatenablog.com

 

新郎自身が当日デバックしながら運用したという、信じられないような面白い記事だけど、これってなんか既視感あるなーと思って自分のブクマを検索すると、つい最近も同じようなことをやっていた方がいたのを思い出した。

それがこちら。プレゼン形式のスライドになっている。

speakerdeck.com

 

サーバーレス?というか最近のWEB技術ってさっぱりわからないのだが、とにかく今風の技術を駆使して苦労しながら作り上げた様子が伝わってきて興味深かった。

で、さらに自分のブクマを検索していると、なんと今から10年ほど前にも、同じようなサービスを作っていた方が出てきて思わず笑ってしまった。

marucc.hatenablog.com

 

まだスマホもなかった時代で、LAMP構成とかFLASHとか、懐かしい言葉がたくさんでてきて、僕のような年配者にはこちらの方がなんだか落ち着く感じがする。

 

さて、このように太古の昔から、数多くの技術者の手によって結婚式の写真共有サービスが作られ続けてきたわけだが、何を隠そう、この僕もこういうサービスを作ってみたいと思っていた時期があったのだ。

その昔、ブライダル関係の会社に勤めていた僕は、会社として、こういう感じの写真共有サービスを作って運営してみたらどうかなと、頭の中で勝手に夢想していた。

用途は非常に限定されるのだが、使い勝手の良いサービスであれば、必ず利用してもらえるはずだと思ったし、写真の共有先の画面にさりげなく自社の広告が出るようにしておけば、自社の宣伝として非常に有効なのではないかと思っていた。このサービスのユーザーは、まず間違いなく結婚適齢期の男女が数多く含まれているはずだからだ。

 

しかし当時勤めていた会社は、とても貧しくお金のない会社だったので、そんな企画が通るはずもなく、また日々の多忙な業務に押し殺される形で、僕のこのアイデアは結局日の目を見ることはなかった。

今やブライダル業界は斜陽産業と呼ばれて久しいが、そんな中で画期的なWEBサービスを世の中に提供することで、自社や業界の復活につなげていったりだとか、まあそういったことがやりたかったんだけど、できなくて悔しかった気持ちが、後悔としてずっと今も残り続けている。

ペットと暮らすということ

estar.jp

最近ずっとこの漫画の連載を読むのがつらかった。
この猫(とらじ君)が亡くなるということがはじめからわかっているだけに、いつその瞬間がきてしまうのかビクビクしながら毎週連載を追いかけていたような気がする。
そして先週の回でとうとう…
悲しいけど何度も読んで、泣いてしまう自分がいた。

 

僕は子供の頃、にわとりを飼っていた。夜店の屋台で売られていたひよこを一匹もらい、家に連れて帰ってきてそのままずっと飼っていたのだ。
とても大事にしていて、かわいがっていたし、にわとりも僕になついてくれていた。
僕の行くところには、どこまでもついてこようとした。心が通じ合っているような感じがあった。
子供時代の僕は、そのにわとりのことを学校の作文に書いたものが高く評価されて、何か大きな賞みたいなものを貰ったことを今でも覚えている。
大事なにわとりだった。でも5年ほどで亡くなってしまった。
にわとりを亡くした当時の僕は、まるで抜け殻のようになってしまった。そしてその時の傷はその後もずっと癒えることなく、なにか欠落感みたいなものを心に抱え続けたまま、その後も僕は生き続けることになる。

もう二度とペットは飼わない。そう決めていた。

 

それから20年ほどたって僕は、猫好きの女性と結婚した。新婚当初から妻が猫を飼いたがったので、ネットで見つけた里親募集中の子猫を一匹もらってきて、二人で飼い始めることにした。
僕の方は猫を飼うのは初めてで、結構手が掛かるし大変だなと思うことはあったけれども、幼い頃から抱えていた心の中の欠落感を、大人になって猫を飼うことで、それがほどよい感じで満たされていることに気がついた。
そこに欠落感がまだあったんだということを、20年ぶりに思い出さされたというか、思い出さされながら同時に埋めていってくれているような、僕にとって猫はそういう存在なのだ。

 

つまり、ペットと暮らすということは、そういうことなんだと思う。
生き物は、いつかは亡くなる。それが嫌で、その事実から目を背けようとして、もうペットは二度と飼わないと決心している人もいるだろう。でも、ペットに先立たれることで自分の中に芽生えた欠落感を、また新たなペットの存在が、確かに埋めていってくれることもあるのだ。
ペットの側からしても、人に飼われることで、食と住処以外の部分で満たされていると感じることは確かにあるだろう。
そうやって、足りないものをお互いに補い合いながら、これからも僕はペットと暮らしていくのだ。

ウォールクライミングをやってきた

前から興味を持っていた、ウォールクライミングにチャレンジしてみる機会があったので、やってきた。

大阪府民の森というところの屋外に、ウォールクライミングの施設があって、そこで事前予約して2500円払うと、初心者体験講習会というものに参加できる。

ライミングには、ハーネス(腰に装着して、ここに命綱をつける)とクライミングシューズが必要なのだが、これらは現地で貸してもらえるので、普通の服装で手ぶらで行っても全然大丈夫だった。

 

講習会の流れだが、まず最初にウォーミングアップ的な体操を全員でやって、その後、登る際の注意点などについて簡単な説明を受ける。

準備的なものはそれだけで、あとは実際にクライミングの実践に入っていく。

 

最初はまず、初心者用のコースから攻めてみることにした。

f:id:sakamoto2:20171001191238j:plain

登る時は、命綱を握って指導してくれるスタッフがマンツーマンでついてくれるので、特に不安は感じなかった。

けれどもこれ、他の人が登っているのを下から眺めている分には全然楽勝に思えるのだが、いざ自分の順番が回ってくると、かなり勝手が違うことに気付かされる。

僕は最初、登り始めて10秒後に、掴んでいたでっぱりから手を滑らせてしまって墜落してしまった。命綱がなかったらこの時点で大怪我をしていただろう。

これはなかなか手強いなと思い、ふんどしを締め直して再チャレンジしてみたが、自分の身長ほどの高さをちょっと超えて登ったくらいで、すでに握力が限界に達してしまった。

足元に目を移すと、結構高くまできているように感じてしまって、ちょっとした恐怖感が芽生えてくる。足を乗せているでっぱりも、かろうじてつま先がひっかかるくらいの小さなもので、非常に心もとなく、ここで精神的にかなり不安になってくる。

うーん、これはちょっと厳しいなと判断してギブアップ。「テンション!」と叫ぶと、スタッフが命綱を操作して、下まで僕を下ろしてくれる。

初心者用のコースでこんなに難しいのかと、絶望させられた。

 

そして次に僕は、何を思ったのか無謀にも、中上級者向けの壁にチャレンジしてみることにした。

それがこちら。

f:id:sakamoto2:20171001191200j:plain

写真を見ていただけるとわかる通り、かなりの高さだ。ビルでいうと3~4階くらいの高さになるだろうか。あそこまで登ればかなりの恐怖感があるだろうが、その時の爽快感はすごそうだ。

それにこのコース、ちょっと癖があって、壁が垂直ではなく、少し反り返っているのだ。SASUKEで山田が苦しめられた「反り立つ壁」みたいな感じで、それが頂上にいくまでに三ヶ所くらい用意されている。

もちろん僕がチャレンジした時は、最初の反り立っている箇所で握力がプルプル限界にきて、すぐに下ろしてもらった。

そこでスタッフの方にいくつかアドバイスをいただいたのだが、この競技は手の力で登るのではなく、足の力がメインで登っていくものらしい。先に足場を固めて、両手はあくまでサポート的な感じで使っていくのが正しいらしい。

そして、正面から壁に張り付くのではなく、体の横を壁面につけて登っていく方が楽に登れるそうだ。

 

その後、再び初心者用の壁に戻り、チャレンジしてみるも、中ほどまで登ったところで、進むべき方向を見失ってしまい、詰んでしまった。次にどこを掴んだり足をかければよいのかが、完全にわからなくなってしまったのだ。登り進めていくと、視界はかなり限られてくるし、下で俯瞰的に見ていた時のような感じにはなかなかならないものだ。

まったくこれはなかなか奥が深い競技だと思う。最初はシンプルなアクションゲームだと思ってやり始めてみたら、実は高度な戦略性が問われるパズルゲームだったという印象だ。

 

結局、講習の2時間ほどの間で、3回クライミングにチャレンジしてみたが、どれもほとんど上まで登れずに終わってしまった。けど、実際にやってみることで色々な気づきがあってなかなか楽しかった。

次の日は、体のありえない部分が筋肉痛になっていた。普段全く使っていない箇所の筋肉を瞬間的に酷使してしまったのだろう。

またやってみたいけど、もう少し簡単なコースで地道に練習をつんでから挑みたいような気もする。というわけで街中にあるようなボルダリングジムに通ってみることを検討中である。

この競技は、次のオリンピックで正式種目に採用されたということで、なんか時代がきつつあるのかなという気はしているので、みなさんにもおすすめです。楽しいのでぜひやりましょう。

早すぎたインターネット

もうあまり知っている人なんていないんだろうけど、大昔のインターネット(90年代後半くらい)って、とてもおおらかで牧歌的で、怪しくて楽しかったなーということを、今でもたまに思い出すことがある。

 

今ではなにかのWebサイトを探したりする時には、必ずと言っていいほどグーグルなどの検索エンジンを利用すればたどり着くことができるが、大昔は、自分の興味のあるサイトを探す手段が非常に限られていたように思う。
その頃の僕は、書店で見つけた「裏インターネットの本」というムック本を入手してきて、日々夢中になって読みふけっていた。いや、読みふけっていたというより、その本に紹介されているサイトのアドレスを片っ端からブラウザに叩き込んでは、表示されるサイトを読みふけっていたのだ。
面白そうなサイトを見つけると、そこで紹介されているリンク集に、さらに面白そうなサイトがわんさかと紹介されているものだから、そこからまた別のサイトに移動して、そこのリンク集からまたその先へ、とそんなことを何度も繰り返しながら色々なサイトを次々と見つけていった。今のグーグルが機械的にやっていることを、手動でやっていたわけだ。
当時のヘビーなインターネットユーザーなら誰もが加入していたテレホーダイというサービスを僕も使っていたので、夜の11時になるとネットにつないで、あちこち巡回していたらあっという間に明け方になっているというようなことがよくあった。
よく、覚せい剤などのドラッグを使っていると、時間の感覚が吹っ飛んで一瞬で何時間も経過してしまったような気分になれるというが、僕にとって当時のインターネットはまさにそんな感じだった。危険だった。怪しかった。でも逃れられなかった。


そんな風にして発見したサイトの中では、「ハイパーノイヅ」というホームページが、お笑い系としては秀逸で特に面白かった。
侍魂」などのテキストサイトが話題になる何年も前に、ああいう文字の色やサイズや間隔を工夫して、テキストだけで笑いをとっていくというスタンスを確立させていたサイトが、もうすでに存在していたのである。
「インターネット史上初のHTMLドッキリ企画」と称して、エヴァンゲリオンのオタクを装ったニセサイトを別に作成し、そこに集まってきたコアなオタク達の様子を詳細に観察するなど、今でいう高度な「釣り」をやってみたりと、時代の最先端をいっていたように思う。
dAisukeという名前の無職の若者がやっていたのだが、本人はただ面白そうなことを思いつきとノリで適当にやっていただけなのだろう。けれども、今にして振り返ってみると、その後のインターネットに多大なる影響を与える可能性があったんだけれども、あまりにも早すぎてうまく影響が伝わることがなかったのが残念な気がする。


他には、「全世界征服おまぬけ電波系計画」という、歯科医の方が運営していたホームページが印象に残っている。
色々と怪しげで楽しいコンテンツが揃っていたような気がするけど、残念ながら中身はあまり覚えていない。
では、なぜ印象に残っているかというと、ここの掲示板の雰囲気がとてもよくて、常連さん達の書き込みを毎日眺めていたからだ。
ある時、その掲示板に、僕がやっていたホームページのURLが貼られて紹介されているのを目にした時は思わず笑ってしまった。インターネットって広い世界なのに、ニッチな趣味嗜好で村の寄り合いみたいな世界を構築していくと、必然的に似た者同士でひかれあうものなんだなと思った。
普段、他人の掲示板に書き込みなど滅多にしない僕も、それからその掲示板にだけは気軽に書き込んだりするようになっていった。

 

あと、これは個人ホームページではないのだが、「この指とまれ」というサービスがあった。
インターネット上で学生時代の同窓生をみつけましょうというコンセプトのサイトで、使い方は自分の卒業した学校と卒業年度、実名とメールアドレス、あとは、一言自己紹介みたいなものを登録しておくと、それらがネット上に公開され、それを見た同窓生から連絡がくるかもしれないというものだった。
今にして思えばネット上にそんなものを公開状態で置いておくなんて正気の沙汰ではないのだが、そこはおおらかな時代だったのだと思う。今では考えられないことを平気でやっていた。
僕も登録してみたら、一度だけ高校時代の友達からメールが来たことがあったが、あまり関わりあいになりたくない相手だったので、無視した。人生初の既読無視である。こんな風に手軽に昔の友達がみつかったり、その事実を華麗にスルーできたりと、ネットってやっぱり便利だなと思わせられる出来事だった。
今ググッてみたのだが、このサービスは今も存在していて、しかもセキュリティを強化した会員制サイトになっていた。そういえば一時期、暴力団フロント企業が運営しているとか黒い噂が流れたこともあったような気がするのだが、いったいどうなっているんだろうか。

 

他にも、サービス系では「あやしいわーるど」という掲示板が懐かしい。
「しば」という人物が運営していた、アングラ的な話題を扱う掲示板だったのだが、とにかく怪しげな話題はここに目を通しておけばオッケーといった感じだった。当時の僕は、実際に書き込んだりするのはちょっと敷居が高いような気がしたので、ひたすら眺めていただけだった。
度々荒らされてその度に移転を繰り返していたような気もするけど、最後に「マグマニア」という別のコンセプトの掲示板を始めて、それもすぐに閉鎖して、その後の足取りはわからない。
あやしいわーるど」の流れをくむ派生掲示板が多数できていたようだが、今はもう残っているものは一つもない。

 

あれから20年近い月日が流れ、個人ホームページの代わりにブログを見るようになり、昔の友だちとはフェイスブックでつながり、怪しげな情報は2ちゃんねるから取得するようになった。けれども20年前と今とで、やっていることは基本的には変わっていないような気がする。
これからどんどん時代がながれて、新たなコンテンツやサービスが登場してきても、20年前のあのサイト郡の雰囲気はいつまでも忘れることなく僕の記憶に残り続けていると思う。

僕にとって、インターネットに触れる時に感じるワクワク感の原体験であるからだ。

幸せの代償

たまにフェイスブックを覗いた時に、知り合いの家族写真を目にすることがある。
「家族でどこそこへ行ってきましたー!(パチリ)」という感じの微笑ましいやつなのだが、僕はあれがとても苦手だ。
なんだか他人の幸せをこれでもかと見せつけられているような、そんな居心地の悪い感情で心が満たされてしまうのだ。
そんな苦手な家族写真の中でも、僕はとりわけ、とある友人の女性がアップする写真を見せられる度に、また違った意味での居心地の悪さを感じてしまう。
彼女とは15年ほど前に、友人としてつき合いがあったのだが、お互いが結婚してからはそれまでのように連絡を取り合ったりすることはなくなってしまった。なので、そうやってフェイスブックに上がる家族写真を見たりすることが、今では唯一の彼女との接点となっている。

 

15年ほど前の独身だった頃の彼女は、恋人ができても長続きしないことについていつも悩んでいた。それでよくそういった類の失恋話を彼女から聞かされていたのだが、恋愛経験の少ない僕にはただなんとなくうなずきながら聞いてあげることしかできなかった。
その頃の彼女はなぜだか、某電力会社に勤務している男性とばかりつき合っていた。電力会社といえば安定した優良企業なので、将来的な結婚相手とするならば、そういう会社に勤務している男性が彼女にとっては理想的だったのだろう。問題は、その会社に勤めている男性とつき合って、しばらくして別れるまではいいのだが、そのあとすぐに間を開けずに、また同じ会社に勤めている別の男性とつき合い始めてしまうことだった。
短い期間の間に、そんなことを何度も繰り返していたように思う。
そんな彼女の姿を見ていると、なんだか彼女はその会社にとって、福利厚生施設みたいな存在になってしまっているのではないかと思い、僕はいたたまれない気持ちになっていった。もしかすると彼女に関する変な噂がその会社の中で広まってしまっているのではないか、そんなふうに当時は思っていた。
僕は彼女に、そんなはしたないことはいい加減に止めたほうがいいと、友人としてアドバイスするべきだったのだろうか?
でも当時の僕は、そのことについては何も彼女に言えなかった。

 

そうこうしている内に彼女から、近いうちに結婚することが決まったという連絡を受けた。お腹には結婚相手の男性との赤ちゃんが授かっているという。
そして、相手の男性は、やはりかの電力会社に勤務しているということを知り、僕は暗澹たる気持ちになってしまった。
おそらく、彼女の夫となる男性からすれば、自分の妻の穴兄弟が、自分の勤めている会社の中にわんさかいる状態になっているわけで、おそらくそういうことはあまり知らずに彼女と結婚するんだろうけど、なんだか気の毒な感じがとてもした。

 

その後の彼女は、二人の女の子を産んで、今では日々成長している子どもたちと共に自身の姿をフェイスブックにアップしている。
写真の中の彼女の笑顔は、とてもきれいで輝いていて、周囲はいつも家族や友人たちに囲まれていて、とても幸せそうだ。
けれども、たまにそれを目にする僕は、いつも複雑な気持ちになってしまう。
そこにたどりつくまでに彼女が犠牲にしてきたもののことを考えると、ここでは言いにくいようなことについて色々と連想してしまい、最後には、そこまでしないと幸せとは手に入らないものなのだろうかという、やりきれない感情にいつもたどり着いてしまう。
彼女の家族写真の裏側に、いつもなにかどす黒い陰りを感じてしまい、それはいくら時間が経過しても、色褪せることなく残り続けるのだ。

声に出す

僕は最近、たまにではあるのだが、Facebookで繋がっている知り合いに向けて、ツイキャス配信をすることがある。顔を出しての動画配信はちょっと気恥ずかしいので、音声だけのラジオ配信だ。

聴いてくれているのは、昔の友人・知人ばかりなので、あまり気を使わずに言いたいことをざっくばらんに話しているだけなのだが、これが結構楽しい。今の自分はこんなことを考えているとか、最近アイツはこんなことをやっているらしいとか、そんなどうでもいいようなことをグダグダと小一時間ほど話し尽くして、配信が終わった後はすっきりとした気持ちになる。

 

ついこの間やった配信では、「いま僕がやってみたいこと」について語ったのだが、そこで僕は次の3つのことを「やってみたいこと」として挙げた。

 

  • ボルダリングをやる
  • 気になっている駆け出しのアーティストのライブに行く
  • 小説を書く

 

ボルダリングについては、かなり昔に観た映画「ミッション・インポッシブル2」の冒頭で、トム・クルーズが岩山を素手でガシガシ登っていくシーンに魅せられた時からずっとずっとやってみたいと思っていた。でもこれまであまり気軽に試す機会がないままずっとここまで来てしまっていて、もうそろそろ体力的にもそういう運動系の趣味を始めるのも難しい年齢になってきていることに最近焦りを感じていたので、それで「いまやってみたいこと」として挙げてみた。

ツイキャスでそんな話をした後しばらくして、たまたま新聞をぼんやり眺めていたら、大阪府がやっている公園施設で、ウォールクライミング初心者講習を三千円くらいで受けることができるという紹介記事が目に止まり、迷うことなく参加を申し込んだ。

 

気になっている駆け出しアーティストとは、R!Nさんという若い女性のシンガーソングライターのことなのだが、半年ほど前に彼女がツイキャスで弾き語りをしているのをたまたま聴いた時に、その歌声に完全に心を奪われてしまって、これはライブで聴いたらさぞかし感動できるだろうなと思ったのがそもそものきっかけだ。

調べてみると、東京の方でよく路上ライブをされているらしいのだが、僕は関西在住なので参加することは難しいので半ば諦めていた。ところが、ツイキャスでそんな話をした後しばらくして、大阪の中之島のイベントで彼女が路上ライブをやるという情報が入ってきて、それが来週なので参加してこようと思っている。

 

小説については、創作というものがどういうものなのか自分でもよくわかっていなくて、そういうことについて学ぶことができるような場所があればよいなと思っている。

そこで、小説を書く上での技法を論理的に教えてくれるような教材や講座が世の中にないかどうか、意識して探すようになった。

書き始めるための環境を構築するというか、まだぜんぜんそんな段階なのだが、それでもツイキャスであんな話をしなければ、そういう動きを自分がすることも全くなかっただろうと思う。

 

と、まあこんな感じで、ツイキャス配信で僕が話したことが、ぼちぼちと実現に向けて動き出している。ここまでこれを書いてきた僕が思うに、何かやってみたいけどちょっと躊躇しているようなことがあれば、それを人前で思い切って声に出して言ってしまうということは、わりと大切なことなのではないかということだ。

なんとなくやってみたいなとか、そういいうことを心の中であいまいに留めておくと、そのままぼんやりとした状態のままで立ち消えてしまう。誰かが聞いてくれている場所で声に出して言うことで、改めて自分の潜在意識に強く刷り込まれて、実現に向けて体が動き出そうとするし、それに伴って、周囲の環境も自分の動きに呼応して助け舟を出してくれるような感覚が得られるのだ。