さかブロ

さかもとのブログ。自分語りとか世間話とか。大阪にいる。

Firewall Zero Hourが楽しすぎる

8月の終わりにPSVR用のゲームで、Firewall Zero Hourというオンラインマルチプレイに対応したFPSがリリースされた。
昨年末にPSVRを購入してからというもの、ずっとシングルプレイのゲームばかりやっていたので、PSVRでマルチやるとどんな感じになるのか正直気になってはいた。が、プレステでオンライン対戦するには、プレイステーションプラスという月額500円のサービスに加入する必要があるので、正直そこまでハマってやるほどのゲームなのかどうかよくわからずに、しばらく様子見のつもりで構えていた。


そして、Firewall Zero Hourがリリースされてから一週間ほど様子を伺っていたのだが、ネット上の評判がすこぶるよいようなので、これはやっておかねばと思い、ゲームを購入&プラスに加入してみた。
よく考えてみたら、PSVRをゲームに使うのは久しぶりだ。ここ最近やってみたいと思わせられるようなゲームが全くリリースされていなかったので、起動するのはもっぱらAV鑑賞の為ばかりになっていて、かなり残念な気はしていたのだ。
シューティングコントローラーという、銃身の形をしたコントローラーも、昨年末に買って以来ずっと埃をかぶっていたので、久しぶりに出番が来たなという感じだ。

 

で、まずはソロプレイからやってみたところ、あまり頭のよろしくない敵AIが無限に湧き出てくるのをひたすらなぎ倒していくだけのゲームになっていて、正直あまり面白いとは思えないような出来だった。
まあ、マルチが主体のゲームだから、ソロ部分はオマケ程度なのだろうと思い、その後すぐにマルチで入ってしばらくプレイしてみた。

 

驚いた。とても面白い。


僕のマルチFPS歴はとても長く、ほぼ20年ほどになるだろうか。古くはアンリアルトーナメントなどのスポーツ系から、カウンターストライクなどのリアル系のゲームに至るまで、あらゆるジャンルのマルチFPSにハマってきた。その結果、どんなFPSをやってもどれも似たり寄ったりに感じてしまい、最近では「FPSにハマる」という感覚自体を遠い昔に置き忘れてきてしまった老人のような体たらくだった。


それがどうだろう、マルチFPSVRという要素を加えるだけで、これだけ興奮と緊張感が戻ってくるものなのだ。
例えて言うなら、今までのマルチFPSは、戦場にいる兵士をコントローラーを使って遠隔から操作して戦わせているような、そういう、自分は常にどこか安全な場所にいるような安心感の中でプレイしている印象だった。
それが、このゲームではVRが作り出す戦場の中にダイレクトに放り込まれて、そこで実際に手探りで敵の気配を感じながら、両手に握りしめた銃の感触を味わいながら、プレイすることになる。
この没入感はVR+シューティングコントローラーならではといったところか。

 

加えて、マルチプレイなので、当然そこに登場する他のキャラクターは全て生身の人間が操作している。彼らに対して、こちらが首を縦に振ったり、銃身を左右に振ったりすることで、身振り手振りでコミュニケーションが取れるのは、とても自然に感じる。

たまに日本人のプレイヤーと同チームになることがあるのだが、ボイスチャットで連携を取りながら一緒にプレイしている時の連帯感は、今までのマルチプレイの比ではない。


やはりこの没入感と連帯感の相乗効果が、このゲームの魅力のコアな部分となっていると言えるだろう。

 

というわけで、久しぶりに心からハマれそうなゲームに出会えてとても嬉しい気分だ。
ゲームのルール自体はとてもシンプルで誰でもとっつきやすいものになっているので、プレイ回数をこなしてマップを覚えてしまえば、どんどん上達していけそうな気がする。そういう意味でも、誰にでもおすすめできるゲームではないかと思う。


ただ心配なのは、今はリリースされたばかりで物珍しさから人が集まってきているような感じなのだが、これから時間が経つに連れて飽きられて徐々にプレイヤーがいなくなり、過疎ってくるのではないかという懸念がある。
マップやゲームモードの追加とか、これから開発陣がいろいろやってくれたりするのだろうか。久しぶりに長く付き合っていけそうなゲームと出会えたので、今後もプレイヤーが飽きずに続けていけるような施策を続けていってくれることを願いたい。

 

おもしろTシャツのススメ

僕は一時期、かなり心にストレスを抱えていた時期があって、その頃ユニクロの店舗内をなんとなくぶらぶらしていた時に、とても変わった柄のTシャツを見つけて、あまり深く考えずにレジまで持っていってしまったことがあった。

僕がその時に買ったおもしろTシャツは2枚あって、一つは胸のところに大きな文字で「神戸」と書かれたTシャツと、もう一つは同じく胸からお腹にかけて「インターネットしたい!」と殴り書きされているTシャツだ。どちらも原色を使った背景(水色と黄色)になっていて、これを着ているだけでかなり目立つ。

まともな大人なら絶対に外では着れないような、そんなふざけた柄のTシャツだ。

 

 

たまに気が向いた時に、そいつをクローゼットの奥から引っ張り出してきて、着用して外出することがある。それを着ていると、思いもかけない人からツッコミの言葉をかけられたりすることがあって、驚くことがある。

まあまあ挨拶くらいはする関係で、それ以上は深く立ち入らないような間柄の人っていうのかな、友達までいかない程度の顔見知りレベルの人から突然、「あれ?そのTシャツなんですか?」みたいな感じで話しかけられるのだ。そしてそれをきっかけにして、いくらか距離が近づいたような感じになってしまうことがある。

もともと自分から人に話しかけたりするのがとても苦手で、はっきりいってコミュ障の僕にとっては、こういうのはとてもおいしいなと思ってしまう。

Tシャツに限らず、こんな感じで日常生活の中に、他人からツッコミを入れられる「隙」みたいなものをどこかに取り入れておくことは、人間関係を円滑に回す上で、実は大切なことなんじゃないかなと最近気づいた。

あなたの怖いものはなんですか?

いつも通っている小説教室では最近、ホラー小説の講義を受けていて、そこからまた課題が出された。

課題は二つあって、一つは「あなたの怖いと思うものを教えてください。それついて、人にわかるように説明してください。」というものだ。

ホラーというジャンルが昔から大好きで、子供の頃から数多くの創作物に触れてきた僕だが、今まで一度もそんなことについて深く考えたことがなかった。

「怖さ」って、なんなんだろうと思う。

 

いわゆる、幽霊みたいなものは、僕はどっちかというとあまり怖いとは思わない方だ。

例えば、死んだ祖母が幽霊になって自分の前に現れたとしても、それは自分のことを気にかけて出てきてくれているのだから、むしろとてもありがたいことだし、怖がる理由が一つも見当たらない。

それとは逆に、僕のことをひどく恨んでいる人が、亡くなった後に化けて出てきたとしても、それは死後もその人から恨まれ続けるようなことをした僕が悪いからであって、それはそれで一つの筋が通っているので、これも怖がる理由が全くないような気がする。

なんか幽霊ってすごい合理的な理由から存在しているような気がして、そのことが、「怖さ」から僕を遠ざけてしまうのだ。

 

だからやっぱり僕は、生きている人間が行う不合理な行為の方に、恐怖を感じてしまう。

最近怖いなと思うのは、ネット上でいつまでも一人の人をターゲットにして粘着し続けるような人達のことだ。

例を挙げると、天才中学生として一時期メディアで取り上げられたことで、天狗になってしまい、その後SNS上で数々の大口を叩いたことで炎上し、ネット上で長年に渡ってターゲットにされてしまっている人がいる。いまだにその人がTwitterでなにかつぶやくと、叩くようなリプライがこれでもかと投げつけられる。もうこれは多分、その人がネット上から完全に姿を消すまで続いくのだろう。

他には、精神疾患を抱えている為に働くことができず、障害年金を受給しながら生活しているが、一日中怠惰に楽しそうに生活している様子をSNS上で書き連ねていた為に、それをよく思わない人達から目をつけられて叩かれている人がいる。この人は、ネット上から姿を消したのだが、その後も、某巨大掲示板で消息を探す動きがあったり、その人のことを叩き続ける書き込みが今でも毎日のように見られる。

もしこれが、芸能人のように自分のプライベートをある程度犠牲にして、それをお金に変えている人だったらわかるのだが、ここで叩かれているのは、あくまでもただの一般人である。

日々SNS掲示板に書き込まれ続ける罵詈雑言を眺めていると、いったいどこからこんなエネルギーが湧いて出てくるのだろうと思って、あまりぞっとしない気持ちになる。人は、会ったこともない他人に対して、ここまで憎悪の念を維持して投げ続けることができるものなのだろうか。

僕が「怖さ」を感じるのは、こういう時だ。

 

とまぁ、そういう感じのことを課題に書いて提出しようと思っている。

もう一つの課題は、「『怖い女』というテーマで400字前後の短編小説を書いてください。」というものだ。できるだけ実話の体をとるという縛りがある。

400字なんて一瞬で読み終わってしまいそうだが、そこにうまく起承転結をはめ込んで、伏線やオチを収納しつつ、最後にゾッとさせなければいけない。

というわけで、書いてみた。それがこれだ。

↓↓↓

 

 

『人形』
これは、二年ほど前に、当時付き合っていた彼女と喫茶店でおしゃべりしていた時の話です。
その時の僕は、前日の夜に、首の筋を寝違えてしまったようで、朝からとても首が痛かったのを覚えています。

「私達、きっと結婚しようね。」
なんの話からそうなったのかわからないのですが、突然、彼女は満面の笑みを見せながら僕にそう言いました。
付き合い始めてそんなに日もたっていないのに、彼女との結婚なんてまだピンときていなかった僕は、曖昧な感じでうなずくことしかできませんでした。
「ちょっとトイレに行ってくるよ。」
気まずくなった僕は、彼女にそう言ってトイレに立ちました。
用を足して彼女のところへ戻ろうとすると、少し離れたところにいる彼女が、机の上で人形のようなものを握りしめているのが目に入りました。真剣な表情で、しばらくその人形を見つめた後で、とてもとても大切そうに、自分のバッグの中にしまいこむのが見えました。
大切そうに扱っている割には、その人形は、少し首のところがねじれているのが、遠目からでもわかりました。

 

 

↑↑↑

まあ、実際にこんなことする女の人なんて絶対いないんだけど、女性の怖さってこういうところにあるような気がするので、それを抽象化して書いてみた。

SF短編小説のアイデアを考える

最近、僕が通っている小説教室で出された課題で『「ペット」をテーマにしたSF短編のアイデアを3つ考えてくる』というものがあった。

「ペット」「SF」ときたら、もうそこから先はロボットみたいなものが登場して主人公とからんでいってどうたらこうたらと、なんだか割とありがちなものになりそうな気がするが、僕は最近興味を持っているVRとかARとか、そちら方面の技術の進化とからめて、いくつか話のアイデアを考えてみた。

まず、「ARペット」というガジェットを最初に定義して、それにまつわるデバイスが普及した未来を舞台にしてストーリーをひねり出そうという作戦だ。授業でも習ったけど、こういう「ガジェット」を一つ考えて、そこから話をいくつも産み出そうとするのは、アイデアを量産する手法として有効らしい。

 

 まず、「ARペット」とは、以下のようなものだ。

 

「ARペット」というガジェット


近未来の話。「ARペット」というサービスが、とあるIT企業から提供されている。
犬や猫などの動物に特殊な首輪型デバイスを取り付けると、その首輪に内蔵された小型のカメラやマイクなどの各種センサーが、その動物の動きや鳴き声などの活動状況データを365日24時間に渡って収集し続ける。
そうしてその動物が自然に生活している様子のデータがある程度蓄積されると、そこから機械学習を通じて、その動物のAIを生成することがでる。
さらに、生成されたAIを使って、拡張現実(AR)で、その動物の姿や様子を再現することができる。
再現された動物はARペットと呼ばれ、人間がARゴーグルとARグローブを使うことで、自宅で一緒に生活したり、外へ散歩に出かけたりすることができる。
ARペットのデータはユーザー間で売買することができる。例えば、ある人が育てた犬のデータを、別の人が購入して、そこからARペットを生成して拡張現実で飼うことができる。
また、複数のARペット同士を拡張現実でお互いに触れ合わせることも可能。

 


そして、このガジェットをベースにして考えた、SF短編のアイデアが、以下のようなものだ。


①ここ掘れワンワン


主人公は20代の独身男性。
以前からなにかペットを飼ってみたいと思っていたが、世話が大変そうで二の足を踏んでいたところ、ARペットサービスの存在を知り、試してみようと思う。
適当なARペットの犬のデータを購入し、自宅で飼い始める。
ARペットの犬はとてもよくできていて、実際に犬を飼っているのとほぼ遜色のない生活が始まる。
ある時、ARペットの犬を外で散歩させていると、少し犬の様子がおかしいことに気づく。
犬は公園のとある場所へと主人公を導き、そこでしきりと地面を掘る仕草をする。だが、ARペットなので現実世界に干渉することはできない。
ここに何かが埋まっているというのだろうか?
主人公が恐る恐る、その場所を彫り始めると…


②ペットロス


主人公は60代の男性。子どもたちは既に自立しており、妻に先立たれた為、一人暮らしをしている。
先日、大事に飼っていた猫が老衰で亡くなった。だが猫が元気だった頃から、ARペットデータ取得用の首輪をつけていたので、そこからARペットを生成して、ARの世界で引き続き猫を飼い続けている。
おかげでペットロスの苦しみはかなり軽減されていた。最近では、一日を通じてほとんどの時間をARゴーグルをつけて過ごすことが多い。
だが、ある時、ARペットの猫が突然いなくなってしまった。自宅の中や近所のどこを探してもいない。
ARペットサービスを提供しているIT企業に問い合わせるも、もともとそんな猫のデータは当社では管理していないという返答が帰ってくる。
いったい猫はどこへ行ってしまったのだろうか?
二度も猫を失い、悲しみにくれている男性に、一通のメッセージが届く。
「おたくの大事な猫のデータを預かっている。返してほしければ、こちらの言うことに従うんだ…」


③飼育授業


主人公は小学生の男の子。
学校での授業の一環として、ARペットをクラスのみんなで飼うことになる。
最初はうさぎやハムスターなどの世話をしていたが、ある時いたずら好きの友達が、そこへトラやライオンなどの凶暴な動物を乱入させてしまう。
だが、意外にも動物たちはARの世界で喧嘩を始めることなく、うまく共存してくれた。
それから友達のいたずらは徐々にエスカレートしていって…

 

 

とまあ、こんな感じなのだが、どの話も起承転結の「承」あたりまでしか考えていないので、この後どういうどんでん返し的な要素があったり、どういう結末を迎えるのかまではまだ思いついていない。

「①ここ掘れワンワン」では、この後に主人公が地面を掘ると、金目のものや死体なんかが出てきてビックリ!となって、そこから謎解きフェーズに突入して、このARペットの元になったオリジナルの犬とその飼い主にまつわる泣けるエピソードみたいなものが徐々に明らかになっていくという、そういう展開にしていくのが王道なのかなと思う。

「②ペットロス」は、この後で猫のデータを盗んだハッカー集団との対決みたいな感じにもっていくことになるのかな。ただのデータに対して、そこまで気持ちを入れ込んでしまう人間の滑稽さや、逆にペットとの絆や、別れにまつわる悲しみなんかを描き出していくといいんじゃないだろうか。

「③飼育授業」は、昔からよくある動物パニックものの展開になりそうな感じがするが、そうはならずに意外な結末に着地させる方がよいと思う。

 

これらのアイデアについて、小説教室の先生から講評をいただいたが、どれもアイデアのとっかかりとしてはこのままで面白いので、この後の展開のさせ方によってはとても面白い作品になるだろうとおっしゃっていて、やる気が出てきた。

個人的に一番書いてみたいのは「②ペットロス」なので、これを実際に短編小説のボリュームまで仕上げてみたいと思う。

未来社会における監視や、そこでの人間の意志について

最近のGmailはとても賢い。
どのくらい賢いかと言うと、誰かから送られてきたメールの内容を自動的に解析して、返信メールを勝手に生成してくれるのだ。
例えば、送られてきたメールがとある本について書かれていて「これってどう思う?」みたいな問いかけてくる内容だったとすると、そこから「いいんじゃない?」「うーん、あんまりかな。」とか、予想される返答の文章をいくつか表示してくれるようになっているのだ。
僕はそこから妥当な内容の文章を選んで、返信ボタンを押すだけでよいという、これだけ聞くととてもラクチンでよいなと思うのだが、なんかメールっていうプライベートなものを、そこまで詳しく解析されていることに、正直不気味さを感じてしまうのも事実だ。
グーグルはおそらく、僕とメールの相手の関係性について、かなり正確に把握することができるし、どの程度の頻度で連絡を取って、お互いにどういう行動を取っているのかまで、24時間365日に渡って休まず監視し続けることが可能だ。

 

こういう話はGmaiに限ったことではなくて、もちろん他にもある。
例えば、iPhoneのカレンダーに予定を登録しておくと、事前にアラート表示してお知らせしてくれる機能がある。
これも、ただ単に登録した時刻が来たらアラート表示してくれるという単純なものではなくて、例えば「10時から歯医者」という予定を登録しておくと、僕が普段通っている歯医者の場所を、どうもこのiPhoneは覚えているみたいで、歯医者の場所と、僕がいる自宅の場所の間の電車の路線や時刻表を調べて、「9時までに出発すれば間に合いますよ」というメッセージを事前に表示してくれる。まったくどこまでお節介焼きなのだろう。
便利だが、これはこれで、とてもプライベートな情報を僕はアップルに握られていることになるし、あまりいい気はしない。

 

よく、子供のころに読んだSF小説なんかで、コンピューターに監視されて支配される世界みたいなものが描かれているやつがあったけど、なんかそういうのも気づかないうちに現実的になりつつあるのかなと思ったりしてしまう。
小説の世界では、そういうのって国家や政府が権力を集中させるためにやったりするイメージだったけど、そうではなくて、私企業が独断で勝手にやっているというところが面白いけど。

 

もう一つ怖いなと思うことがあって、それは、こういうサービスがだんだん浸透していくことによって、だんだん僕らがものを考えなくなっていくのではないかという懸念だ。
ユーチューブでなにかの動画を見終わったら、「次はこれを観なさい」「その次はこれね」みたいな感じで次々と候補をレコメンドしてくれて、抜け出せなくなることがよくある。フェイスブックを開くと「あなたの友達かも?」の一覧が無限に出てきてほんとうに鬱陶しい。
僕は僕の意志で、観たいものを観たいし、付き合いたい人と付き合いたいのだ。
いまここで、「アイス」という単語を入力すると、「食べたい」という予測変換が勝手に出てくるのだが、僕はアイスを食べたいわけではなく作りたいのだ。
その昔、ワープロが普及して、手書き文化が廃れた時に、みんなの頭から急速に「漢字」が忘れ去られていったように、このままいろんなアプリやサービスに甘やかされているうちに、自分の意志で選択して行動する力が、どんどん弱ってきたらどうなるんだろう。

違法なことをしているという意識がないまま逮捕されてしまうことの怖さ

巷で話題になっているコインハイブを仕掛けると警察が自宅にやって来るという話だが、こういうの怖いから本当にやめて欲しい。
こういう、ネットでごにょごにょしているだけで思いもかけず罪に問われてしまうという話は、昔からちらほらと見聞きしていて、その度に僕はいつも肝を冷やしていた。

 

古くは、ファイル共有ソフトを作って捕まってしまった人がいた。

そのソフトを使った人々がやり取りしていたファイルが、違法性の高いものだったということで、ソフト作成者が違法ダウンロード幇助の罪に問われてしまったというものだ。
でも、僕もその昔、某オンラインストレージから自動で複数ファイルをダウンロードしてくるツールを自作していたことがあって、これなんかも使いようによっては違法ファイルのやり取りに使えたりしてしまう。もし調子に乗ってネットで公開して広まっていたりしていたら、警察のお世話になっていたかもしれない。そう考えると怖くなってくる。

 

また、これもかなり以前の話だが、図書館のサーバーに負荷をかけて捕まった人がいた。
この人の場合は、普段使っていた図書館の蔵書検索システムがクソだったので、自前でもっと使い勝手の良いサービスを作ろうとしていたという。その為に、図書館の検索サイトから蔵書データを全件抜いてこようとしたところ、大量に負荷をかけすぎて何度もサーバーダウンさせてしまい、これにたまりかねた図書館側が警察に訴えて、この人は業務妨害容疑で逮捕されてしまったという。
実は、この事件がおきる数年前に、僕も近所の図書館の蔵書検索サービスの使い勝手が悪いのが不満だったので、この人とまったく同じことをやって、同様に何度かサーバーを落としてしまったことがある。しょぼいサーバー使ってんじゃねーよと当時は思ったりしていたものだが、今考えると全然笑えない。僕がこの人の代わりに、逮捕事例に入っていたとしても全然おかしくはない。


また最近でも、メルカリで現金を販売して捕まっている人がいて、これはどうも出資法違反になるらしいんだけど、これについても僕はメルカリでお金を売るのが話題になりだした頃に、そんなうまい話があるのなら自分でもやってみようかと思って、アカウントを作って商品登録する寸前までやっていたことがあった。結局途中で面倒くさくなってやらなかったんだけど、これも今思うと相当やばいことをやろうとしていたのかもしれない。

 

で、コインハイブである。
これは最初にネットで話題になった頃に、試しに自分のサイトに入れてみた人たちのレポートを眺めていると、微々たる利益しか見込めないとのことだったので、僕はあまり注目していなかった。

けど、もし月に1〜2万円くらいの利益が出るものだったら、僕も試しに手持ちのサイトに仕込んでいたかもしれない。その可能性は十分にある。

 

ここまで、ちょっと自分の過去のネット活動を振り返ってみただけでもこれだけザクザク出てくるのに、これからも僕はこういう怪しげなことに手を染めてしまうことが一切ないと言い切れるだろうか?
なにより一番怖いのは、やっている当人は悪いことをしているという自覚も何も全くないということなのだ。人を殺したり、人からお金を奪ったりするのはもちろんのこと、スーパーに並んでいる商品を万引きしたりすることは犯罪だし、そういうあきらかにハンザイハンザイしているものは、自分は絶対にやらないという自信がある。
けれども、こういうネットでちょっと怪しげなことをごにょごにょということに、自分はどうしても惹かれてしまう性分みたいなので、なんだかこれからもとても怖いのである。

小説学校が面白くなってきた

この5月から、小説の書き方を教えてくれる学校に通っている。
1年を通しての講義の内のまだまだほんの序盤なので、講義の内容もミステリやSF小説の歴史や種類についての解説が中心で、まあそれを聴いているのも面白いんだけれども、そんな話を聴いていても小説がパカパカ書けるようにはなったりしないだろうなというのが正直な感想だった。
ところどころ、文体についてのテクニック的な話があったり、アイデアを発想する際の方法論的なものについて解説があったりもするので、そこのところは「書く」上での役に立ちそうな内容であるような気がした。


そして、先週あたりからぼちぼち、講師から「課題」が出るようになった。
ぶっちゃけこの課題がすごく楽しい。
「次の文章をハードボイルド風に書き直しなさい」とか「次の5人の容疑者の中から犯人と思われる人物を選び、その理由を説明しなさい」とか、そういう形式で、表現や文体の練習だったり、アイデアの出し方についていろいろと実践してみましょうということらしい。


この課題、提出締め切りまでに2週間の期間が与えられているのだが、その間の僕は、毎日のように真剣にああでもないこうでもないと思い悩み、まるで締切に追われながらもなんとかして一片のアイデアを産み出そうとしている作家のような気分だった。
そして、そうやって提出した課題は、受講生全員の分が一冊の冊子にまとめられて、全員に配布されることになる。
この、他の人が書いたものを読むのが、超絶面白いのだ。
僕がいるクラスの受講生は、全部で15人くらいいるのだが、誰一人として同じ内容の解答になることはなく、中にはよくこんなこと思いつくよなーと感心してしまうような独創的な解答もあって、思わず唸らせられてしまう。

いままで僕の身近には、小説を書いたりするような人が一人もいなかったので、こういう人たちの中に混じって切磋琢磨するのは、文書力を鍛える上ですごくよい機会になっているのではないかと思う。

 

やっぱり、講義をただ黙ってじっと聴いているよりも、こういう風に講師から提示された課題を全員でやって、お互いに読み合いしながら評価し合うのが、この講座の醍醐味であって、こういうのがなかったら、巷にあふれている「小説の書き方本」を読んでるのとさほど違いがないのではないかと思ってしまう。
こうやって実際に手を動かして書き上げて、周りはどんな感じかなと様子を伺いつつ、講師からのフィードバックも頂きつつ、そんなこんなしているうちに、自分の中のアイデアを発想する力や、それを文章で表現する力が鍛えられていけそうな、そんな気がしている。