坂本から君へ

さかもとのブログ。自分語りとか世間話とか。大阪にいる。

米津玄師の動きってホラー的

今日は小説教室の日やった。
今日の授業は「ホラー映画における恐怖表現の変遷」について勉強しましょうの回やったわ。でも、俺ら小説の書き方勉強してるのに、なんで映像表現の解説を聴かなあかんねんやろってちょっと疑問に思ってんけど、単に先生の趣味らしい。まあええか、なにかしら小説書く上で参考になることもあるかもわからんし。
授業内容は、実際に色んなホラー映画の映像をみんなで観ながらの解説で、最初はJホラーって呼ばれてるものの古典(かなり昔のやつ)から始まって、学校の花子さんとかリングとか呪怨とか、なんかようわからん洋画にいたるまで、あらゆる恐怖表現をひたすら観せられてもうお腹いっぱいんなったわ。
結局どんなホラー映画でも、幽霊が出てくる場面になったら、ドレスきた髪の長い女の人がクネクネ這い回りながら主人公に迫りくる場面ばっかりに統一されてて、だんだん恐怖表現がゲシュタルト崩壊おこしてきたわ。なんであいつらって揃いも揃って米津玄師みたいな動きするんやろね。
途中、要所要所で、心霊写真とか古典絵画とかも引き合いにだして説明してて、まあそういうのん聞いてたらなんとなくやけど「人を怖がらせるためのポイント」みたいなもんがわかってきたような気がする。
でも、色んな映像観てて気づいてんけど、こういうのって結局のところ「効果音」で不気味なノイズ出したりして、そこはかとなく不穏な空気出して、それで怖がらせてるだけやんかっていう気もする。映画って「音」が使えるんが強いよな。あれ「音」がなかったら、ただの具合の悪い人がウロウロしてるだけのように見えて滑稽な感じになってまうで。
でも、小説の場合は「音」は一切使えないから、小説での恐怖表現って何を重きにおいて書いていけばいいのかわからんくなってきたから、授業の最後にそれを質問してみた。ほんなら先生は、小野不由美さんの「鬼談百景」と「残穢」の関係を引き合いに出しながら、あれは実話怪談をベースにしながらの創作になってて、そこを読み手に混同させるような仕掛けが随所に散りばめられているから、そういう構造的なところで怖さをうまく引き出してるんやっていうてた。まあ、なるほどなって思った。

 

そんなこんなで今年の授業はこれで終わり。

同じクラスの人らが14〜5人はおるねんけど、結局まだ誰とも打ち解けてないような感じになってるのはいかがなものか。
9月ころに、学校主催の懇親会で知り合った人たち数人とラインのグループトークでつながってるから、そっちではちょいちょい雑談してるねんけど、オフラインの教室では挨拶すらしてないからなんか妙な感じ。まあ、あの教室の空気がなんかおかしいね。授業後の質問コーナーでも、いっつも誰も声あげへんし、あの教室で声出したもん負けみたいなところあるよな。来年はもっとみんなと絡みたいなぁ。