坂本から君へ

さかもとのブログ。自分語りとか世間話とか。大阪にいる。

お金に喜んでもらえる使い方

最近こんな本を読んだ。

 

なるべく働きたくない人のためのお金の話

なるべく働きたくない人のためのお金の話

 

 

この本、アマゾンで最初に目にした時は、世に溢れてるような節約系?ミニマリスト系?の本なのかなと思って、あまり気にしていなかったんだけど、試しに最初の数ページだけ読んでみたらすごく面白くて、一気に最後まで読んでしまった。

 

 

この本の筆者はまだ二十代の男性なのだが、田舎から東京に出てきたばかりの頃に、家賃の高さにヒイコラ言いながら生活していて、そんな「お金に追われる」ような暮らしに、これはいくらなんでもおかしいのでなんとかならないのかと悩み始める。

でも、世の中の大部分の人はそういう暮らしをあたり前のこととして受け入れてしまっているのだが、そのことを筆者が「社会と人間との共犯関係」という言葉で表していたのが、とても興味深かった。

苦しくても社会から言われるがままに従って生活していれば、代わりに居場所を提供してもらえるし、その中で人間は何も考えずに日々過ごすことが出来て、ある意味ラクになるからだ。

で、筆者はそういうことを否定して、思い切って家賃の安い場所に引越して、週に2日だけ働くという生活を始める。ここから筆者の知恵を絞った隠居ライフが始まるのだが、この部分は本当によく考えているなと感心させられた。僕が二十代の頃は、ひたすらしんどい思いをしながら、社会の言うことを聞いて従うだけのロボットみたいな存在だったけど、この人は本当に頭を使った人間らしい暮らしをしているなと唸らされた。

 

 

さらに、この本の後半部分から展開されるテーマに、「お金に喜んでもらえるような使い方をしましょう」というものがある。

これは一言で言うのはとても難しいんだけど、要するに「お金」というものを擬人化して捉えて、僕らが仕事をして彼ら(お金)を得た時や、何かを買うことで彼ら(お金)を手放した時に、彼ら(お金)がどういう気持になっているのかについて、よく配慮しましょうということだ。

例えば、何か悪事を働いてお金を得たとして、そういう時は、お金が悲しみながら自分の懐に入ってくるし、何か社会的に素晴らしいことをやっている企業の商品を買うことで、お金が喜びながら旅立っていってくれるということらしい。

日頃からそうやって、お金の気持ちを考えながらお金と付き合っていると、いざ自分が困った時に、お金の方から自分のところにやって来て助けてくれるようなことがあると筆者は言っている。

なんか変な宗教みたいで笑ってしまうような話だが、一円もお金が自分から出ていかないように必死にコントロールしたり、他人よりもお金をたくさん得られるように画策したりするよりも、お金の方から自然に自分のところに遊びにきてくれるような、そんな関係を維持できるように、常に緊張感を持って生きなさいと筆者は主張する。

 

 

そして話はもっと大きな広がりをみせる。最後の章で、鶴見済(この人まだいたんだ!)と対談してるんだけど、そこで筆者はこんなふうに言っている。

 

以前はお金って自分だけのものだったんですけど、主語がどんどんでかくなって、自分のものから友人同士、家族、コミュニティ、社会、全世界のもの、ってどんどん広げていくと、お金が手元にないからといって別にないことにはならない気がしてきて。で、どこかにはあるんだから、焦りも不安もなく構えていられる。お金が来たい時に来ればいいし、出ていきたい時には出ていけばいいっていう。そうなると、お金を使うときに社会に貯金してるようなイメージを持つようになってきて。

 

ああもうこれ悟りの境地だなと思った。

ここまできたら、もう死ぬまでお金のことであくせくすることなんて、よほど追い詰められない限りは、ないんじゃないかなと思った。

そういうふうに人間とお金との「関係性」について、一風変わった視点から考えさせてくれるような、そんな良書だった。