坂本から君へ

さかもとのブログ。自分語りとか世間話とか。大阪にいる。

ネットで知り合った人との末路

僕は、過去のある時期に、ツイキャスにハマっていたことがあった。
他人の配信を聞いたり、自分でも配信をやったり、あるいは大勢でコラボ配信したりとかして、毎日のように遊んでいた。
当時からんでいた人は、10代〜20代の、僕よりもずっと若い人がメインだったように思う。彼らと話していると、本当に歯に衣着せぬやり取りをしてくれることが多く、とてもラクで、ニュートラルな気持ちになれた。なるほどこれがデジタルネイティブっていうやつなのかな?と考えさせられるようなことも多くあった。

こういう遊び方というか、他人とのつながり方があるものなのかと、すごい新鮮で驚いた気持ちで日々を過ごしていたように思う。
それでもだんだんとツイキャス自体に飽きてきて、そのうちやらなくなってしまうのだが、その頃に仲良くしていた人たちとも、必然的に関わることがなくなってしまうことになる。もともとネット上だけの関係で、お互い顔を合わしたこともない人たちばかりだったので、そうなってしまうのは自然なことだった。
けれども、ついこの間、ふと思い立って、その頃仲良くしていた友達の一人に、スカイプで話しかけてみたのだ。
話すのは一年ぶりくらいだったろうか。それでも全く距離を感じることなく普通にお話することができて、昔からのリア友のような感じで話すことができた。不思議な気分だった。

 

ネットで知り合った人との関係性って、ちょっと難しいところがある。
例えば、あるSNSで誰かと知り合って仲良くなったとして、それは、常にその人との関係が可視化されてしまうということを意味している。つまり、常に自分が現在誰とつながっているかというステータスがSNS上で一覧化されていて、なにかの拍子にそれが切れたりしてしまうことがあるのだ。
これの何が難しいかというと、何か気に食わないことがあった時に、もう私はあなたとは一切関わりませんよという意思表示が明確になってしまうのだ。ある意味、とても白黒はっきりした世界なのだが、こういう感覚って、SNS時代ならではだよなと思う。
リアルだったら、誰かに何か気に食わないことをされても、なんとなく避けているような雰囲気に持ち込んで、その人との関係をちょっと曖昧な感じでぼやかしておくといったことができるんだけど、SNS上ではそういう器用なことはできない。
ある程度仲の良かった人からいきなりSNS上で関係を切られてしまうと、とても悲しい気持ちになる。きっと僕が何かその人を傷つけるようなことを言ったりしてしまったんだろうけど、それでも、なにか自分がモノのように扱われているような気がして、とても悲しい。

 

ツイキャスで仲の良かった友達(スカイプでこの間話した人)とは、これからもお互いのことをどこかで気に掛け合いながら、ずっとその関係性は続いていくんだろうなと思うんだけれども、それって、ネットだとかリアルだとか、いくらプラットフォームが変わっても、それを超えたところでつながっているような感覚があるからで、つまりそういう人とは、ずっと切れずにつながっていられるんじゃないかなって思う。
考えてみれば、大昔からアマチュア無線とか、そういうツールを使ってずっと他人とのつながりを維持し続けている人たちもいるのだし、結局のところ、時代やプラットフォームに左右されない強いつながり・関係性というものはこの世界にたくさん存在しているんだろうな、と思う。