坂本から君へ

さかもとのブログ。自分語りとか世間話とか。大阪にいる。

自作PCと僕

自宅のデスクトップPCが壊れた。電源を入れると冷却ファンの回る音が虚しく響くだけで、画面にはBIOSの表示すら出てこなくなってしまったのだ。
昔の僕だったら、こんなことになったら喜々として原因を探ろうとしてあちこちパーツをとっかえひっかえしながらいつの間にか治してしまったんだろうが、今はもうそんな気持ちがどこからも湧いてこない。

 

このデスクトップPCは5年ほど前に、市販のパーツを組み合わせて作ったもので、いわゆる自作PCというやつだ。
僕の自作PC歴はとても長く、21世紀に入る前からもう既にこの世界にどっぷりとハマっていた。
PCを触り始めた当初は、富士通などのメーカー製の出来合いPCを使っていたのだが、ただそのまま使っているだけでは物足りなくなってきた僕は、そこにハードディスクやメモリを増設していったり、さらにはCPUやグラボを交換したりしている内に、だんだんと原型を留めなくなっていってしまったのだった。もうそれならいっそのこと全部単体のパーツを組み合わせて一台作ってしまった方が、メーカー製のPCを買うよりも安上がりになるのではないかと思って、実際にやってみたらその通りだったので、それからはPCというと僕の中ではイコール自作という図式が出来上がってしまっていた。

 

PC自作なんていう怪しげなことをやり始めた当初は、周囲を見渡しても同じようなことをしている人間は誰ひとりとしていなかった。そんな一般の人たちに向かって「自作したパソコンを使っている」と話すと、なんだかすごい技術を持っているように誤解されることが多かったのだけど、実際はドライバー一本で、プラモデルを組み立てるよりも遥かに簡単な工程で組み上げることができるという単純な世界だったのだ。
それでもただ作るだけではなく、その後で色々と設定を変化させることで、CPUやグラボのクロック数を大幅に上げることができたり、それによって高画質な3Dゲームがグリグリ動いてくれたりと、なかなか楽しみの幅もひらけていたように思う。

 

当時の僕は実生活、とくに仕事方面でうまくいっておらず、社会人として成長していけていないというもどかしさを、PCをアップグレードすることで解消していた。PCがパワーアップする度に、なんだか自分がどんどん強く成長していっているような、そんな疑似的な体感を得ていたのだと思う。
そう、あの頃の僕にとって、自作PCは全てだった。
仕事で辛かった時は、新しく登場したナイスなCPUのことを考えてやりすごした。恋愛で失敗した時も、最高級のグラボを思い切って買うことで気持ちを切り替えることができた。
僕にとってPCは、単なる道具などではなく、自分の分身だったり、世界の理想だったり、崇拝するべき偶像ですらあったような気がする。

 

なのにいつから、僕にとってのPCは、ただのネットワークにつながっているだけのダム端末に成り果ててしまったのだろう。
今、目の前にあるこの壊れてしまってうんともすんとも言わなくなってしまったPCを見ていると、不思議な気持ちになってしまう。
おそらくそうなってしまった背景には、スマホの登場や、ゲーム専用ハードの進化だったり、それ以外にも色んな要因が隠れているのだろう。一番大きいのは、PCの使用用途がネット上の様々なサービスの方へシフトしていってしまったことだったりするのかもしれない。
とにもかくにも、PCに対してワクワクするような感じが今はまるでなくなってしまったことに、とても残念な気持ちにさせられる。
パーツを交換するためにPCの蓋を開ける時の、あの胸が打ち震えるようにときめく感覚を、もう一度味わってみたい。そう思いながら、もうそんな時代は来ないのだろうなという気も同時にしている。