坂本から君へ

さかもとのブログ。自分語りとか世間話とか。大阪にいる。

身体障害者を差別した日

あなたは普段、道端などで体の不自由な人を見かけた時に、どういう気持になるだろうか。
「なにか困っているようだったら、助けてあげないと…」
「こういう人たちが不便を感じないような世の中にしていかないと…」
たいていは、そんなようなことを考えたりするだろう。僕だってそうだ。
こういう気持ちというものは、一体どこから出てくるのだろうか。
子供の頃に、親や学校の先生からそういうふうに教わったから、そういう思想が自然と身についているだけなのだろうか。

 

その昔、20代も後半にさしかかった頃、僕はある女性とつきあっていた。相手の女性は僕より少し年上で、結婚に対してかなり焦りを感じている様子だった。
交際が深まるにつれて、当然のことながら、彼女から結婚して欲しいと頼まれた僕は、あまり深く考えずに「いいよ」と返事をしてしまった。
まずは両親に彼女のことを紹介しなければならない。実際に彼女を両親に会わせる前に、事前に彼女に関する情報を色々と両親に伝えることになった。
僕はまず両親に、彼女が自分より少し年上であることや、地元の短大を出ていて、今は小さな会社で事務職に就いていることなどを話した。
そして、話が彼女の家族のことにおよんだところで、だんだんと雲行きが怪しくなり始めた。
彼女には身体障害者の兄がいた。生まれつき足が不自由で、車いす生活を送っていて、定職にも就いていなかったのだ。そのことを話すと、父親も母親も眉をひそめるような表情になったのだ。
最初は何か言いにくそうな、考えこむような態度をとっていた両親だったが、だんだんときつい言葉が飛び出すようになってきた。
「そのお兄さんのことを、将来的に、おまえが面倒をみていくことになったらどうするんだ。」
「もしも遺伝の関係で、子供が障害をもって生まれてきたらどうするの?育てるのはものすごく大変よ。」
「体の障害だけではないだろう、きっと知能にも問題があるのではないのか。」
正直、今でもこの時言われたことを思い出すとつらくて、あまり詳しくは書けないのだが、どんどん両親の発言がエスカレートして止まらなくなっていった。彼女や、彼女の家族の人格を否定するようなことまで言い出す始末だった。
これはまぎれもなく差別だと、僕は思った。差別の塊だ。

 

結局、僕は彼女を両親に会わせることができなかった。
こんな暴言を吐く両親を、彼女に見られたくなかったのだ。とても恥ずかしかった。

 

あの時から僕はいまだに、自分の両親のことをよく思っていない。
親とは、そういうものだということは頭ではわかっている。子供に近づくあらゆるリスクを全力で排除しようと、時には命まで張ることもあるのだろう。
でも、僕はあの時、自分の両親には、ああいう言葉は言って欲しくなかった。
「将来的に苦労することになるかもしれないけど、私達に頼るなりして、頑張って欲しい」と、そういう感じできれいに流してもらえなかったんだろうか。
それは、冒頭で言ったようなキレイ事にすぎないのかもしれない。
現実に、差別は存在する。そして、結局は彼女と結婚しない道を選んだ僕も、両親と同類なのだろう。
身体障害者を差別した日のことを、僕は忘れることができない。これからもずっと。