坂本から君へ

さかもとのブログ。自分語りとか世間話とか。大阪にいる。

嫌なことノート

最近困っていることが一つあって、それは何かというと、仕事をしている時や、家で一人でテレビを観ながらぼんやりしている時なんかに、ふとしたはずみで過去に経験した嫌な出来事を思い起こしてしまって、鬱々としてしまうのだ。

そういう時はたいてい初めに、過去に誰かから言われた嫌な言葉が、その声の感じやトーンまで含めた微細なところまでキレイに脳内で再生される。
そしてそれをトリガーとして、嫌な記憶の全体像がゆっくりと蘇ってきて、心の中が重い空気に支配されてしまう。
どうせ思い出すなら自分にとってよい記憶を思い出せばいいのに、何故か心に浮かんでくるのはネガティブなものばかりなのだ。
これは、もしかしてなにか精神的な病気なのだろうか。そう思ってしまう。

 

そのことを、心理関係に詳しい知人に相談してみたところ、どうもそれは僕が「過去の嫌な記憶」を、自分の中で消化しきれていないからだと説明された。
例えば、嫌な経験をした時に、その経験を10だとしたら、経験した当時は、その内の2~3くらいしか自分の頭では処理しきれていないらしい。そして、その処理しきれなくて残された部分については、記憶の中の冷凍庫みたいな場所にずっと保管されていて、それが後々になって解凍されてリアルな形で蘇ってくるのだという。記憶のメカニズムって、そういうものらしい。
だから、僕はその冷凍庫に保管されている嫌なことの残りカスみたいなものを、今一度きちんと自分の中で処理しつくしてしまえばよいのだと言われた。

 

具体的には、「嫌なことノート」を作れば効果があるらしい。
「嫌なことノート」とは、新しいノートを一冊用意して、その1ページ目に今までの人生で経験した一番嫌なことを書いて、2ページ目以降で、その嫌なことにまつわる自分の考えをひたすら書き倒していくのだという。そしてそれを、もう何も書くことが出てこなくなるまで続ければいいらしい。
そうすることで、自分の頭の中で記憶とそれにまつわる情念みたいなものがうまく浄化されていくということなのだろう。

 

なるほど理屈はよくわかる。けど、そんな恐ろしいノートを作り始める度胸は、今のところ僕にはない。人生で一番嫌だった記憶について、紙に文章として残すなんて、間違ってもやりたくないなと思う。
僕はこのブログでもたまに過去の苦い経験について書いたりすることがあるけど、あんなのはまだまだ序の口なのだが、それでも書いていて苦しい気持ちになってくることがよくある。文章を通じてじっくり自分と向かい合うということは、それなりに体力も気力も消耗する。そのことがよくわかっているだけに、今の僕には「嫌なことノート」を書き始めることなど、到底できそうもない。
たぶんそれって、もっと歳を取って老年期にさしかかった頃になって初めて、「死を迎える準備」としてやるようなことなんだと思う。俗に言う、「終活」というやつだ。
だから、まだまだ僕にとっては「嫌なことノート」を書く必要はないのだ。
もっと違った形のアプローチで、過去の忌まわしい記憶と対峙していこうと思う。