坂本から君へ

さかもとのブログ。自分語りとか世間話とか。大阪にいる。

無職のつらさ

みなさんは今までの人生の中で、無職というものを経験したことがあるだろうか。

僕は40歳を過ぎてから、1年ほどだが会社などの組織に所属せずに、ただ家で毎日ゴロゴロしていた時期がある。

 

無職の生活を始めた最初の頃は、毎日あくせく働かなくてもよいなんて素晴らしいことだと思っていたが、そんな生活を半年ほど続けていると、しだいにぼんやりとした焦燥感のようなものに気持ちが晒されていくことになる。
この「焦燥感」について細かく分析してみると、これには大きく分けて三つの要素が含まれていると思う。

 

まず一つ目は、「退屈」だ。
とにかく毎日時間が有り余っていて、持てあましてしまうのだ。
観たい映画や読みたい本なども、そうそう次から次に自分の目の前に現れてくれるわけでもない。
日々、なんとなくパソコンやスマホをいじっていて、眠くなったら昼寝をして、目が覚めたらまたパソコンの前でぼんやりしてという生活を繰り返している内に、どんどん自分が人として間違った方向に進んでいるのではないかという気持ちにさせられて、焦ってくるのだ。

 

二つ目は、「孤独」だろう。
家族がいればまだなんとかなるのだが、もし一人暮らしの人が無職になってしまったら、それこそ朝から晩まで一日中誰とも口をきかずに過ごすことになってしまう。
これもやはり相当つらい。他人と繋がっているという感覚が得られないと、人はおかしくなってしまうものなのだ。

 

そして最後は、「貯金が目減りしていくこと」だ。
無職の間は当然、収入がなくなってしまうので、その間は貯金を取り崩して生活していくことになる。
これが地味にジワジワと精神的な恐怖感を与えてくれるのだ。
命が削られていくのが数字として常に見えているような感覚と言えばわかってもらえるだろうか。このプレッシャーに耐えられる人はなかなかいないのではないかと思う。

 

以上三つが、無職でいる時期に僕が味わっていたつらさの正体だと言える。
こういうことを考えていると、かのphaさんが昔どこかで「無職でいる為には特殊な才能が必要だ。」と話していたのを思い出す。
これは、無職の状態をキープするには、並大抵の精神力では持たないということなのだろう。

 

今の僕は普通に会社勤めをしているので、この種のつらさや焦燥感からは逃れることができているのだが、実はこれとはまた別の観点から怖いなーと思っていることがある。
それは、これって会社を定年退職した後の、老後にやってくるつらさとほぼほぼイコールなのではないかということだ。
僕のような、会社と家庭の往復だけで日々過ごしている人にとっては、その生活から抜け出した後に待っているのはまたあの、「退屈」で「孤独」で「貯金が目減りしていく」だけの日常になってしまうことが予想される。
これはやはり相当まずいのではないかと思う。

 

そうならない為に、あらかじめ予防線を張っておく必要があるなと最近強く感じている。
会社と家庭以外にも、なんでもよいので自分の所属できる居場所をつくっておいたり、本当に貰えるのかどうかよくわからない国の年金以外にも、なにか別の形で収益を得ることができるような仕組みを作っておく必要がある。
これは本当に、今のうちから危機感を持って対策をとっておかないといけないなと思う。