坂本から君へ

さかもとのブログ。自分語りとか世間話とか。大阪にいる。

僕にとってのインターネット

その昔、もう二十年ほど前に、黎明期のインターネットでホームページをやっていたことは以前に書いた。
あの頃の僕は、ネットがどういうものなのかもまだよくわかっていない時期で、それでもホームページをやるからにはできるだけ目立ちたいと考えていた。
その為、できるだけ妙な感じの、見た人みんなが首を傾げたくなるような内容のホームページを目指して、ひたすら更新していた。

死体写真を使ったコンテンツ以外にも、人生相談や星占いのコーナーを装って、ひたすら読者のメンタルが打ちのめされるようなコンテンツを日々量産していた。
こういうホームページのことを、当時はテイストレス系(Tasteless)と呼んでいて、好きな人にとってはそれなりに人気のあるジャンルだったのだ。
それでもたいていの人からは、誰が何のためにこんなわけのわからないホームページを作って公開しているのだろうと不思議に思われていただろうと思う。
でも、当時の僕にとっては、それがそれなりに意味のある行為として成立していたのだ。

 

 

あの頃の僕は、学生を卒業して社会人になったばかりの頃で、「働く」ということに対してどうしてもうまい意味付けができていなかった時期だった。
それまで学生として、勉強とかスポーツとかそれなりに頑張ってきて、結局たどりついた場所がここなの?は?ふざけんなよ、みたいな感じ。
「こんなことする為に今までタラタラ学生やってきたわけじゃないよー。」と大声で叫びたいけど、叫ぶ方向がわからなくて途方に暮れていた。そんな状態だった。
猛烈に騙されたような感覚と言えばよいのだろうか。別に具体的な誰かに騙されたわけではないんだけれども、世の中とか、大人とか、そういったものに、自分は今までうまく騙されてたんだなあっていう気持ちを痛いほど感じていた。
そして、そんな世の中に対して、何か反撃してやりたいという思いがとても強くなってきて、そのための手段を、当時の僕は痛切に欲していた。
そんなところにポンと目の前に転がってきたのがインターネットだった。
自分を騙した世界に反撃するための手段として、ネットを通じて自己表現することを僕は選んだのだ。
つまり、見た人が心底イヤーな気分になるようなメディアを作って、世界中のどこからでもアクセスできる状態にしておく。それを可能にしてくれるのが、インターネットだった。
僕にとってのインターネット。それは、世界に対する反撃から始まった。

 

 

今にして思うのは、心に深い闇を抱えていたこの時期に、インターネットが本格的に普及を始めていて本当によかったと思う。
もしタイミングがずれていて、ネットがない時代だったら、僕はなにか猟奇的な犯罪に手を染めることになっていたかもしれない。
そのくらい、ネットの先に広がっている世界に対しては、自分の中にあるドス黒いもやもやした感情をいい感じに吸収してくれる懐の広さを感じていた。
今現在の僕は、世界に対する折り合いも上手につけることができていて、きっとそれが大人になったということなんだろうけど、こうして今みたいにブログの更新ボタンを押す時などに、ほんのちょっと当時のことを思い出してしまうことがある。
自分の書いた文章がネットに流れ出す時に、「これでも食らえ!」と呟いていることがあったりして、自分でも苦笑いしてしまうのだ。

 

 

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