坂本から君へ

さかもとのブログ。自分語りとか世間話とか。大阪にいる。

恋愛を成立させるテクノロジー

僕の両親は、お見合いで知り合って結婚した。

その昔、興味が湧いたので母に尋ねてみたことがある。父と最初に知り合った時の印象がどうだったかと。
『なんか、ぱっとしない人やったわ。』

そう感じた母は、そのままお見合いの話を進めることに積極的にはなれず、うまく断ろうと思っていたらしい。
でも、父母が知り合ったお見合いは、外部からの強制力が結構キツめに設定されていたらしくて、お互いにいつの間にか気づかない内に結婚することになっていたという。
今の時代からすると、そんなんで結婚していいのか?と首をかしげたくなるような話だが、父母の時代では別にとりたてておかしなことでもなく、普通のことだったらしい。そんなふうにして、なんとなく周囲から押されるような形で結婚してしまった夫婦が、当時は多かったのだろう。

 

 

考えてみると、僕の両親が若かった頃の時代って、男女が気軽に知り合えるような環境だとか、お互いのコミュニュケーションを支えてくれる技術については、とても陳腐なものだったのだろう。それでも結婚という難易度の高い行為を成就させるためには、ある程度外部からの強制的な圧力や、社会的な流れに乗っかってしまうことが重要だったのかもしれない。
そうなのだ、たしかに大昔は、見ず知らずの女性と顔見知りの仲になったりすることは難しかったし、そこからさらに個人的にコンタクトを取ってうまくやりとりするのはもっと難しかった。
今は、携帯やメールやラインがあったりして、そのあたりの環境はずいぶんと整備されているように思う。
僕はよく知らないけど、見聞きした範囲では、お見合いサイトやお見合いパーティーなどの、異性と知り合う環境についても、近頃はとても充実してきているように感じる。
このあたりは、父母の時代と比較しても、また僕の若い頃と比べても、格段に進化しているような気がする。

 

 

ところで今僕は、「進化」と言ったが、それは本当に「進化」だと言えるのだろうか。
というのも、僕がいつも読んでいる、とある若い男性がやっている恋活ブログを見ていると、いつも複雑な気持ちになってしまうからだ。
そのブログは、彼女いない歴=年齢の男性が、頑張って彼女を作ろうと一念発起して色々と奮闘している様子が日々アップされている。しかし、この一年間で多種多様な出会いアプリや街コンを駆使しても、結局恋人ができずに今もずっと一人のままなのだ。
その男性はブログ上で、今回はこんな女性と知り合って、ラインでのやり取りを何回かして、デートに誘い、こんな場所で食事をして…などと事細かに記述しているのだが、その様子がなんだかとてもシステマティックで、まるで日常業務を淡々とこなしているかのように見えるのだ。
なによりもそれを読んでいて気になることは、その男性自身が少しも楽しそうではないところだ。なにか、辛く苦しい苦行に耐えながらそんなことをやっているような印象を受けてしまう。
最近の若い人って、みんなこんな感じなんだろうか。
まるで、恋愛に至るまでの過程を作業ととらえて、黙々とこなしていくロボットみたいだ。

 

 

この男性を含めて、今時の若い人達は、恋をし始めている時の高揚感とか、自分の気持ちが相手に受け入れられていくときの喜びを、全く知らないまま生きてきて、そしてそういうことを経験せずにこれからも生きていくのだろうか。
もしそうだとすれば、僕の両親の時代から、世界は何も進化していないような気がする。むしろ、手数が余計にかかっている分、心理的にも肉体的にも経済的にも負担が大きくなっているような気がして、これはちょっと厳しいなと思ってしまうのだ。
だからといって昔のような、お見合いによる強制マッチングの時代に戻すことなんてもうできない。
僕が願うことは、恋愛を成立させるためのテクノロジーや環境の進化が、人間の自然な感情にもっと寄り添うような形であって欲しいという、ただその一点だけだ。