坂本から君へ

さかもとのブログ。自分語りとか世間話とか。大阪にいる。

僕のトラウマ映画を紹介する

まだ高校生の頃だったか、深夜に自主制作の短編映画ばかり流す特番をテレビでやっていて、インディーズムービーならではの手作り感や怪しげなノリが大好きな僕は、当時熱心にそれらを観ていた。

その特番の中で、グランプリを取った作品があるのだが、僕は初めてその作品を観終えた時、精神的に完全に打ちのめされてしまって、2~3日放心状態になってしまったことがある。
いまだにあの時の衝撃というのはよく覚えていて、それ以来、その作品にまた触れることができたらいいなと思い続けていたのだが、最近YouTubeで何気なくタイトル検索してみたら、まさにその動画をアップロードしている人がいたのでびっくりした。
こういうことがたまに起こるから、ネットのある時代に生まれてきてよかったと思う。
もう二度と観れないと思っていたので感動しながら、四半世紀ぶりに観てみた。

 

 

この映画は、街中にいる行きずりの男を騙してその日暮らしを送る若い女性と、パントマイム芸人の青年の間に生まれた純愛を描いたものだ。
きれいなクラシック音楽をBGMにして、モノクロの映像が静かに淡々と続いていく。
物語序盤から中盤にかけては、お洒落な感じだったり、ちょっとコミカルだったりと、どことなくウォン・カーウァイの映画に似た雰囲気だ。
で、油断していると終盤付近で、ものすごく残酷なツイストが入り、そのまま鬱エンドへ。
都会とか大人とか、そういう世界が抱えているダークな部分がそれとなく描かれていて、そういう負の領域から二人のピュアな気持ちは常に脅かされていて、観ていてとても苦しくなる。
静かで心地よい音楽をBGMに、残酷な描写が流れたりすることや、最後に即物的なあの「手」のイメージを見せることで、観ている我々は頭を強く殴られたような衝撃を受けてしまう。そういうふうに、音楽と映像の進行が緻密に計算されているのだ。

 

 

こんなものをよく高校生の時に観ていたなと思う。

エロとかグロとか、そういう次元ではなくて、もっと残酷ななにかがむきだしの状態で描かれていて、そういう得体の知れないものにまったく耐性のない年頃の少年がこれを観ていたのだ。
当時の僕はこの作品を観て、映像というものが人間に対してここまでショックを与えることができるのだと、その可能性に驚いたし、これからもこういった怪しげな作品をウォッチし続けることになるのだろうなと思った。
そういう意味でこの短編映画は、いわば自分の性癖に目覚めるきっかけを作ってくれた作品として、思い出深いものになっている。

 

 


『ダイヤモンドの月』