坂本から君へ

さかもとのブログ。自分語りとか世間話とか。大阪にいる。

冥福を祈る気にもなれない

20代の前半から、僕はシステムエンジニアの仕事をずっとやっている。でも、その間およそ20年間を、ずっとSEひとすじでやっていた訳ではなく、ちょいちょい他の仕事に浮気しながらこれまでやってきた。

SEの仕事は基本的に、お客さんの会社に入っているIT周りのシステムをあれこれ弄り回すことだ。それはどちらかというと、他人の仕事を裏側からサポートするような、裏方さん的なスタイルの業務にどうしてもなってしまう。
僕はそのあたりがなんか物足りないなと長年感じ続けていて、ある時、自前で商売をやっている、いわゆる事業会社への転職を決意する。
ちょうど運良く、とあるBtoCの店舗型事業を全国展開している会社に転職が決まり、さあやるぞーという感じで意気込んで働き始めた。
なにをどうすれば会社が儲かるのか、それを常に考え、企画し実行する。いままでと頭と体の使いどころが全く違う業務にとまどいを感じながらも、しばらくは充実した会社生活を送ることができた。

 

 

その会社に、僕より年齢が4つ上のベテラン社員がいた。
過去に証券会社での営業経験があるらしく、なるほどそれ系のニオイがぷんぷん漂ってくる人だった。いわゆる昭和のモーレツ社員といえばよいのだろうか。10連勤や20連勤は当たり前で、毎晩浴びるように酒を飲み、バカバカ煙草を吸い、トイレで吐いては会議室でこっそり横になる。ストレスと不摂生にまみれた、そんな仕事スタイルの人だった。

 

「上司から『できるか? 』 と尋ねられたら、必ず『できます !』 と返事するんや。できるかどうかは後から悩んだらええねん。」

 

そんな風にうそぶく彼は、会社的にはとても優秀な人材だったと思う。
たとえそこが自分の限界を超えた領域であっても、がむしゃらに飛び込んで行って、もがきながらそれなりの成果を出してきた人だった。
彼を見ていると、僕も将来的にはこういうタイプの人材になることを会社から期待されているのだろうと思わされてしまい、暗澹たる気持ちになったものだ。
決して彼のことを尊敬していたわけでもないし、目標にしていたわけでもない。ただ、彼を見ていると辛くて苦しかった。
SE時代には、上司から無茶振りされても、できないことはできないとはっきりと断ることが美徳だとされていた。自分のキャパシティを自覚して、それを超えないようにきちんと業務量を調整できる人が、優秀なSEだと教えられてきたし、また何度もそれを痛感させられてきた。
その教えとは真逆である彼のスタイルや、にもかかわらずに強引に成果を出し続ける彼の姿に、常に違和感を感じ続けていた。
僕は2年ほどその会社に勤めていたが、やはり精神的にも体力的にもついていけなくなり、退職して再びSEの道に戻ることを選んだ。
なのでその後は、彼のことはすっかり忘れてしまっていた。

 

 

そんな彼が先月、急性心不全で亡くなった。まだ40代の後半だった。
奥さんと、小さなお子さんが3人いるという。
いたたまれない気持ちと共に、やはりそうなってしまうのかという既視感にも似た気持ちが押し寄せてきた。
あの仕事スタイルでは、いずれはそうなってしまうことは誰の目から見てもあきらかだったのに、当人も周囲の人間も誰もストップをかけずに全力疾走し続けて、その結果がこれだ。
ほんの少しでいいから、困難に立ち向かわずに、恐れて逃げ出すことを考えて欲しかった。
全力で逃げて、そして生きてさえいれば、家族と共に支え合って生きる手立ては、いくらでもあったのに。


そう思うとやりきれない。
冥福を祈る気にもなれない。