坂本から君へ

さかもとのブログ。自分語りとか世間話とか。大阪にいる。

ネットで知り合った人との末路

僕は、過去のある時期に、ツイキャスにハマっていたことがあった。
他人の配信を聞いたり、自分でも配信をやったり、あるいは大勢でコラボ配信したりとかして、毎日のように遊んでいた。
当時からんでいた人は、10代〜20代の、僕よりもずっと若い人がメインだったように思う。彼らと話していると、本当に歯に衣着せぬやり取りをしてくれることが多く、とてもラクで、ニュートラルな気持ちになれた。なるほどこれがデジタルネイティブっていうやつなのかな?と考えさせられるようなことも多くあった。

こういう遊び方というか、他人とのつながり方があるものなのかと、すごい新鮮で驚いた気持ちで日々を過ごしていたように思う。
それでもだんだんとツイキャス自体に飽きてきて、そのうちやらなくなってしまうのだが、その頃に仲良くしていた人たちとも、必然的に関わることがなくなってしまうことになる。もともとネット上だけの関係で、お互い顔を合わしたこともない人たちばかりだったので、そうなってしまうのは自然なことだった。
けれども、ついこの間、ふと思い立って、その頃仲良くしていた友達の一人に、スカイプで話しかけてみたのだ。
話すのは一年ぶりくらいだったろうか。それでも全く距離を感じることなく普通にお話することができて、昔からのリア友のような感じで話すことができた。不思議な気分だった。

 

ネットで知り合った人との関係性って、ちょっと難しいところがある。
例えば、あるSNSで誰かと知り合って仲良くなったとして、それは、常にその人との関係が可視化されてしまうということを意味している。つまり、常に自分が現在誰とつながっているかというステータスがSNS上で一覧化されていて、なにかの拍子にそれが切れたりしてしまうことがあるのだ。
これの何が難しいかというと、何か気に食わないことがあった時に、もう私はあなたとは一切関わりませんよという意思表示が明確になってしまうのだ。ある意味、とても白黒はっきりした世界なのだが、こういう感覚って、SNS時代ならではだよなと思う。
リアルだったら、誰かに何か気に食わないことをされても、なんとなく避けているような雰囲気に持ち込んで、その人との関係をちょっと曖昧な感じでぼやかしておくといったことができるんだけど、SNS上ではそういう器用なことはできない。
ある程度仲の良かった人からいきなりSNS上で関係を切られてしまうと、とても悲しい気持ちになる。きっと僕が何かその人を傷つけるようなことを言ったりしてしまったんだろうけど、それでも、なにか自分がモノのように扱われているような気がして、とても悲しい。

 

ツイキャスで仲の良かった友達(スカイプでこの間話した人)とは、これからもお互いのことをどこかで気に掛け合いながら、ずっとその関係性は続いていくんだろうなと思うんだけれども、それって、ネットだとかリアルだとか、いくらプラットフォームが変わっても、それを超えたところでつながっているような感覚があるからで、つまりそういう人とは、ずっと切れずにつながっていられるんじゃないかなって思う。
考えてみれば、大昔からアマチュア無線とか、そういうツールを使ってずっと他人とのつながりを維持し続けている人たちもいるのだし、結局のところ、時代やプラットフォームに左右されない強いつながり・関係性というものはこの世界にたくさん存在しているんだろうな、と思う。

不気味な人間模様

先日、ぼんやりと新聞を眺めていたら、むむむ?と思いっきり首をかしげてしまうような記事があった。

最近ツイッター上でそこそこ拡散された、とあるツイートに関する記事だったのだが、さっき検索したら該当ツイートが出てきたので下に貼り付けておく。

 

 

難病を抱えた男性が優先座席に座っていたら、その姿を妊婦らしき人からスマホで動画撮影された。それがネットで拡散されて炎上したらマズイので、先手を打って先にツイッターで釈明しておくということらしいが、これを見た僕はとても不思議な気持ちになってしまった。

電車の中で動画を撮影しているこの妊婦らしき人の行動がそもそも謎だし、それを受けてネットでの拡散を防止する為に先手を打って先に拡散を狙うというその行為も同様に不可解だ。

まず、おまえら現場でよく話し合えよと思う。席を譲って欲しいなら、素直にそう申し出ればよいし、動画を撮影された側は、なぜそんなことをするのか問い詰めればよい。それが普通の常識を持った人間の対応なんじゃないのかなと思う。

おそらく、当事者間の心のなかでは、直接対話することによって対立状態に陥ってしまうのが怖くて、でもそれだと心の中のもやもやが解消されずに、それをネットに投げかけようとした結果こんなことになってしまっているんだろうけど、なんだかとても不健全なことをしているような気がするのだ。

 

その新聞の記事では、このツイートを取り上げて、「これがSNS時代に生きる現代人の生態です。」みたいな書き方で紹介されていたのだが、本当に最近の若い人たちってこんな感じなのかな。もしそうだとしたら息苦しいことになっているような気がするし、正直ちょっと不気味な感じさえ、してしまうのだ。

小説の学校に通う

僕は普段、自宅で時間のある時にはたいてい、映画を観たり、漫画や小説を読んだりして過ごしている。これは若い頃からずっとそうで、とにかく他の誰かが作った「物語的なもの」に触れている時間が大好きなのだ。常にそういった他人の創作物を消費することで、今まで生きながらえてきたと言ってもよいだろう。
そうしてある時から、そういった創作物を消費するだけではなく、自分でも創造することができたりしないものだろうかという思いが自分の中に溜まってきた。なんだろう、創作物を創造することができる人たちに対する憧れのような感情だろうか。自分も少しでも彼らに近づきたい、そういう気持ちが心の中心に常に居座るようになっていた。
映画や漫画を制作するのは無理でも、小説だったら文章だけの世界なので、自分にもトライできる余地があるのではないかとずっと思っていて、それでもなかなか創作の為のアイデアが空から降ってきたりすることはなく、何も書き始めることのないまま、今に至っている。

 

そうこうしている内に僕も、もう40歳も半ばになりつつあって、ちょっとここらで本気を出しておかないとまずいかな?という気持ちになってきている。やりたいことがあるのなら、無理くりにでも今の内にやっておかないと、体力や思考力はこれからどんどん低下していくだろうし、このまま何もしないまま寿命が尽きてしまうことがなにより恐ろしいと思う。
そこで、小説の書き方を指導してくれるような一般人向けの講座みたいなものがあれば、受講してみたいと常々思っていたのだが、このあいだぼんやりと新聞を眺めていたところ、そういう作家養成を目的にした専門学校の広告が出ているのが目についた。そこで説明会をやっているというので、先週末に実際に行って話を聞いてきた。

 

僕が書きたいのはエンターテイメント小説なのだが、その学校では「ジャンル小説講座」というのを開講していて、その講座の担当講師の方が説明会で話をするのを聞いてきた。これが、なかなか面白かったのだ。
ジャンル小説」の「ジャンル」とは、ミステリやSFやホラーや時代小説やらといろいろあるのだが、この講座では、各ジャンルの定型的な手法についてまず学ぶらしい。
ミステリだったら、まず物語の冒頭で「謎」が提示されて、その「謎」をああでもないこうでもないと主人公が解き明かしていくという、その流れの作り方について勉強しましょうということらしい。
他にも、小説を書く上での細かな要素について、その調べ方を教えますと言っていた。これはどういうことかというと、例えば小説の中で、警察を舞台にした場面を描こうとしたときに、警察組織の内部がどうなっているのかがわかっていないと細かい描写ができなくなってしまい、物語に説得力がなくなってしまうので、そういう具体的な情報を普段プロの作家はどこから仕入れたりしているのかについて、教えてくれるそうだ。

 

そういう小説を書く上でのテクニック的なことをまずは半年間かけて勉強した後で、残りの半年間で実際に自分で50枚の短編を書いてみるという、いわば実習のようなことをやっていくそうだ。これは、公募などでの新人賞に応募できる最低枚数が50枚からだそうで、そのレベルにまで到達することを講座の最終的な目標においているらしい。
なので、ここから先は、実際に小説を書く上でのアイデアの出し方や、プロットの立て方について勉強していって、最終的に50枚の成果物につなげていくという。
イデアについては、受講生は当然みんな素人なので、そんなに面白いものが飛び出してくるわけではなく、講師も最初はそれで全然構わないと言っていた。むしろ重要なのはプロットの方で、ここで最初の場面から最後の場面にいたるまで、どういうふうに物語が進行してどういう終わり方を迎えるのかまでをきっちりと設定しておいてもらうと言っていた。そうすることで、小説を書いている途中で嫌になって投げ出すことをできるだけ防ぐことができるという。


最後に講師の方が、小説家って、別にそんなにすごいことをやっているわけではなくて、普通に会社員が会社で仕事しているのとあまり違いはないので、誰にでもできることだと言っていたのが印象的だった。小説を書くということを特別なこととして捉える必要はなく、一つ一つの細かな作業を丁寧に組み立てて、全体として一つの作品として完成させるという、仕事的なものとして考えて気軽に取り組んでみて欲しいということなのだろう。

 

授業料も決して安くはないし、一年間という貴重な時間資源も投入することになるが、死ぬまでに1本だけでいいから自分の小説を書いてみたいというかねてからの僕の思いを達成するべく、思い切って来週からこの学校に通ってみることにした。
講座形式なので、たぶん一緒に受講する人もたくさんいると思うので、そういう人たちと一緒になって小説を書くという体験は、一人で書いているよりもずっと面白そうな感じがする。来週から楽しみだ。

はてブの闇を可視化してみた

三ヶ月ほど前に僕が「作ります!」と宣言していた、はてブホッテントリの感情分析サイトだが、ようやく完成したので公開したいと思う。

  

hotentry-sa.appspot.com

  

このサイトでできること

はてなブックマークのホッテントリ内の各エントリーについた全てのブクマコメントを解析して、感情的なネガティブ度・ポジティブ度を算出して表示している。
次の3種類の分析結果が表示できるようになっている。

  1. 闇ホッテントリ⇒ネガティブなコメントの多いエントリを順に表示する。
  2. きれいなホッテントリ⇒ポジティブなコメントの多いエントリを順に表示する。
  3. 揺れホッテントリ⇒ネガティブとポジティブの間の揺れ幅が大きい、つまり賛否両論の激しいエントリを順に表示する。

 


サイトが出来上がるまでの経緯

今年の始めにネットのどこかのサイトを覗いていたら、グーグルが自然言語処理に関するWebAPIを提供しているということを知った。そして、その中の感情分析機能を利用してホッテントリの派生サイトを作ったら面白いんじゃないかと思いつき、そのことをブログに書いた。それと併せて応援ブクマを募ったところ、結構な数のブクマがその記事についたので、それならばと一念発起して自分で作ってみることにした。


僕はその昔、Webサービスを作ることにハマっていた時期があって、その頃によく利用していたGoogleAppEngineを使って作ることにした。
まずは開発環境を整えるところからスタートし、Pythonの文法やGAEの癖みたいなものも徐々に思い出しながら、毎週末にぼちぼち開発作業するという日曜プログラミング形式でやっていった。
サイトのバックエンド部分(Webからデータを取得して加工する部分)については、そんなにつまる箇所もなく、すんなり作ることができたように思う。この部分については、昔自分で作ったWebサービスソースコードを引っ張り出してきて、そこにはてなブックマークエントリー情報取得APIGoogle Cloud Natural Language APIを組み込んだだけで、わりかし素直に動いてくれた。ここまでで、だいたい一ヶ月くらいかかったかな。
次に、バックエンドで取得したデータをどうユーザーに見せるかというフロントエンド部分を作り始めたのだが、HTMLやCSSのお作法について思い出したり、表示に使えそうなテンプレートを配布サイトから探してきたり、あちらこちら見栄えを調整したりしていたので、ここに思いのほか時間がかかってしまった。だいたい二ヶ月くらいやっていたように思う。


作り始めた当初は、本当に最後まで完成させることができるのかどうか正直不安だったのだが、無事にリリースできてホッとしている。これも皆様からの応援ブクマがあったからこそできたのだ。あれがなかったら、最初の開発環境構築のところでもう嫌になって投げ出していたと思う。

 

 

出来上がったサイトを使ってみて

一週間ほどこのサイトを自分で使ってみたのだが、闇ホッテントリ(ネガティブ順)については、ネガコメの多いエントリがちゃんと上位に上がってくるようになっていて、うまく動いてくれているように思う。ただ、たまになんでこんなエントリが上位にあがってくるのか謎な時があったりもするが、そういうのは無言ブクマが多い状態で、そこにネガコメが2〜3件ついていて、その少数のネガコメに引っ張られるような形でネガティブ方向にスコアが上昇してしまっているのだと考えられる。これについては何かサイト側で対策をとってもよいような気がするのだが、とりあえずはしばらくこのままにしておこうと思う。
きれいなホッテントリ(ポジティブ順)については、技術系のエントリが上がってくることが多いような印象を受ける。これは、技術系エントリについては、ディスるようなコメントがほとんどつきにくいという特徴があるので、これはこれで正しく機能しているのかなという気はしている。
揺れホッテントリ(ネガポジの幅が大きい順)については、正直よくわからない。コメントが賛否両論に割れているような…いやそうはなってはいないような…といった感じで、まぁこれはおまけで出力しているだけだと考えていただければよいと思う。


全体を通してみてみると、「闇ホッテントリ」入りするエントリはそんなに数が多くないような印象で、これについては完全に予想外だった。ぼくにとってのはてブとは、もっと憎悪と罵詈雑言の渦巻いたろくでもない世界のような気がしていたのだが、いたってキレイで健全な世界が広がっていたのだということがわかる。
というわけで、まぁともかく少々難はあるものの、当初の目的であった「はてブの闇(と光)を可視化する」という点については、ほぼほぼクリアできたのではないかと思っている。 

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これからのこと

ソースコードを公開して欲しいという声があったので、こちらで公開している
あとで、このソースコードについての解説記事を書こうと思っている。
対象とする読者としては、ひととおりプログラミング言語について学び終えて、これから自力で何かを作ってみたいと考えているような初級〜中級者くらいの方を想定していて、そういう方達に向けた実践的な記事にしたい。
いくつかWebサービスを作り続けていると、自分なりの「型」みたいなものができあがってくるので、僕なりにこれまで身につけてきた「型」について、うまく読者に伝えることができたらいいなと考えている。


また、今回の開発作業を通じて、GAEやPythonの使い方についてだいぶ思い出してきたので、この勢いにのって新たに次のWebサービスを作っていこうと思っている。とりあえずはYouTubeの懐メロ動画検索サイトを作ろうかなと。(昔々にそういうサイトを作って公開していたのだが、それの焼き直しになる予定。)

 

 

というわけで長々と書いてきてしまったが、最後に、この「ホッテントリ感情分析」を使ってくださった方は、ぜひこのサイトのトップページに対して、あなたの素直な感想コメントと共にブクマをつけていただくことをお願いしておきたい。
このサイトに対して一体どんなブクマコメントがついて、それによってこのサイトが「闇ホッテントリ」か、はたまた「きれいなホッテントリ」か、いずれのランキングに入ることになるのか、気になるところだ。

たくさんブクマがついた

先日書いた記事に対して、ブクマが550個もついてしまった。
記事の最後に、ブクマを募る旨を記載していたのだが、そこからまあせいぜい20〜30ブクマくらいついてくれるかなとゆるく考えていたので、実際に返ってきた反響の大きさに正直驚いている。
やはり、はてブの闇と光を可視化したいという需要は確実に多く存在するのだ。
そして、これだけ大量にブクマがつくことで、とても不安になったことが一つあって、それはこの記事自体にネガコメが大量につくのでは?という思いだったのだが、杞憂だったようだ。全てのブコメに目を通させていただいたが、そのほぼ全てが「面白そう、楽しみにしてるから頑張れ!」という応援で、非常にモチベアップにつながった。「作りたい」という願望から、「作らなければならない」という使命感にまで昇華してしまった。
本当にどうもありがとうございました。

 

そんな中で、ちらほらと、「そんなに難しくなさそうだし、自分も作ってみようかな」というコメントが現れたのが嬉しかった。実は、こういう記事を書いて公開することで、それを見て触発されたギークな人々が秒速で作って公開してくれたらなぁという思いもあったりするので、これはもうみんなでどんどん作ってソースを公開するようにしていきましょう。

 

あと、意外だったのが、「自分も過去にブコメの感情分析を試みたことがあったけど、うまくいかなかった」というコメントが出てきたことだ。実際に成果物を見せていただいたのだが、たしかに単純にブコメをポジネガ算出するだけでは、僕が望んでいるような結果は出ないのかなという気がしてきた。ブコメだけを判定基準にするのではなく、もう一枚なにかレイヤーがいるのではという指摘コメもあったし、これについてはちょっと考えないといけないかなと気付かされた。

 

他にも多かったコメントが、「ポジティブ度の高いエントリって、ほとんど互助会まみれになってしまうのでは?」というものだが、まあこれについてはそうなったらそうなったで一つの結果として受け入れるしかないのかなと思っている。
いずれにせよ、とりあえず作ってみて、出来上がった結果を見た上でそれからどうするか判断して、次の成果につなげていこうと思う。

 

あと、そういうホッテントリをカスタマイズするようなことは、はてながやってほしいという意見もあって、これは本当に僕もそう思っている。だけど、最近のはてなは「はてブ」が安定して動くように日々メンテするインフラ提供企業みたいな感じになってしまっているので、残念だけど、これはもうしょうがないのかなと思っている。昔と違って上場しているし、BtoBの案件もたくさん抱えているみたいだし。
一般ユーザーに向けてはこのまま電力会社やガス会社みたいな立ち位置で落ち着いてしまうのか、それとも昔みたいに革新的に面白いサービスを提供できるような企業に戻ってくれるのか、僕は後者であってほしいと思っているのだが。

 

さて、とにもかくにも作り始めようと思う。
とりあえず今週は開発環境を作った。そう、笑ってしまうがそこからのスタートなのだ。GAE触るのも5年ぶりくらいなので、もうすっかりなにもかも変わっていてあたふたしてしまった。
公式のインストールガイドを見ながらやってもうまくいかなかったので、ここを参考にした。

僕はpythonを使いたかったので、この記事の

$ gcloud components install app-engine-php

$ gcloud components install app-engine-python

に変えればうまくいった。

GAEも昔は、わかりやすいGUIのランチャーがあったのに、今はなくなってしまっているようだ。うーん、コマンドのみで、なんかすごい不親切な感じになってしまったな。
他にも公式に日本語でわかりやすいチュートリアルが置いてあったような気がするんだけど、どんなに探しても見つからないし、英語の原文あたるしかないのかな。
5年ぶりにGAE触ってみた感じでは、初見さんお断り的な雰囲気が非常に濃厚で、本当にグーグル先生はこれを売る気があるのだろうかと疑問に感じる。
まあそれはいいとして、なんとかhelloworldを出すことができたので、来週からいろいろやっていこうと思う。

はてブの闇を可視化したい

最近知ったのだが、グーグルが提供しているWebAPIに、自然言語処理に関する機能を持つものがあって、これがなかなか面白そうだなと感じている。

 

cloud.google.com

 

この中でも特に、「感情分析」というやつが気になっていて、どういうものかというと、なんでもいいので適当なテキストをこのAPIに与えると、その内容を分析して、ネガティブ度・ポジティブ度を判定してくれるというものだ。

実際にこのページからデモが試せるようになっていて、試しに「チョコレートが好きすぎて死にそう」と入れてみると、ポジティブ度90%となり、「チョコレート嫌いなので食べると死ぬ」だとネガティブ度20%と出てくる。
まあこれはわかりやすい例なんだけど、とにかくこちらが与えた文章に含まれる感情的な要素を読み取って、それを数値化して返してくれるというものだ。
こういうAPIが昔から欲しかったんだけど、なかなか気軽に利用できるものが出てこなくて残念に思っていたのだが、ここへきてようやく気持ちに時代が追いついてきたなという感触がある。

 

さて、このWebAPIを利用して、僕が作ってみたいWebサービスが一つあって、それは「はてブの闇を可視化する」というサービスだ。
どういうものかというと、ホッテントリに上がっている各エントリについたブクマコメントを、このWebAPIに食べさせて、さきほどの例で挙げたようなポジ・ネガ度合いをエントリごとに合計して算出するというものだ。
で、ホッテントリに上がっている全てのエントリについて、ポジ・ネガ度を算出できたら、それらを数値の高い順に並べて表示したい。
現在のホッテントリのように、ブクマのつく量や速さのみで順位が決まるのではなく、ブクマの内容によって順位が決まってくるようなものがあればいいなと以前から思っていたのだが、それがいい感じに実現できそうな気がしている。
日々ホッテントリに上がってくるエントリのブコメを読んでいると、ネガティブなものが非常に多く、記事の内容やあるいは書いた人を直接ディスっているものが本当に多い。
これはもう大昔から言われてきたことなのだが、本当にはてブとは、そんな憎悪と怨嗟にまみれた罵詈雑言が集まるような場所なのだろうかという疑問が自分の中にあって、それを客観的に判断できるような仕組みが作れたらいいなと思っている。
また、ポジティブ度の高いもの、つまり美しくきれいなコメントのみで構成されたようなホッテントリがあったとして、そんなものをいったい人は見たいと思うのだろうかということについても興味がある。

 

もし僕がこのサービスを作るとしたら、おそらくはGoogleAppEngine上のPythonで作ることになるのだろうが、もうずいぶん長いこと触っていないので、勘を取り戻すまでかなりの時間がかかりそうで、非常におっくうである。
そこで、ちょっと自分の中でモチベーションを上げるために、ここまでこの記事を読んでくださった方々に、アンケート的なものを取らせていただきたい。
今まで話してきたような「はてブの闇を可視化する」Webサービスを実際に見てみたい、使ってみたいと少しでも思われた方は、この記事をブクマしてほしい。反対に、興味ないよという方はスルーでお願いします。
ここで集まったブクマが、20〜30個程度までいったら、一念発起して作り始めようと思っている。30人もユーザーがいてくれるなら、作り上げるまで充分モチベーションが保てるような気がする。また、作っていく過程についても、このブログで逐一公開していこうと思う。


それでは、よろしくお願いします。

自作PCと僕

自宅のデスクトップPCが壊れた。電源を入れると冷却ファンの回る音が虚しく響くだけで、画面にはBIOSの表示すら出てこなくなってしまったのだ。
昔の僕だったら、こんなことになったら喜々として原因を探ろうとしてあちこちパーツをとっかえひっかえしながらいつの間にか治してしまったんだろうが、今はもうそんな気持ちがどこからも湧いてこない。

 

このデスクトップPCは5年ほど前に、市販のパーツを組み合わせて作ったもので、いわゆる自作PCというやつだ。
僕の自作PC歴はとても長く、21世紀に入る前からもう既にこの世界にどっぷりとハマっていた。
PCを触り始めた当初は、富士通などのメーカー製の出来合いPCを使っていたのだが、ただそのまま使っているだけでは物足りなくなってきた僕は、そこにハードディスクやメモリを増設していったり、さらにはCPUやグラボを交換したりしている内に、だんだんと原型を留めなくなっていってしまったのだった。もうそれならいっそのこと全部単体のパーツを組み合わせて一台作ってしまった方が、メーカー製のPCを買うよりも安上がりになるのではないかと思って、実際にやってみたらその通りだったので、それからはPCというと僕の中ではイコール自作という図式が出来上がってしまっていた。

 

PC自作なんていう怪しげなことをやり始めた当初は、周囲を見渡しても同じようなことをしている人間は誰ひとりとしていなかった。そんな一般の人たちに向かって「自作したパソコンを使っている」と話すと、なんだかすごい技術を持っているように誤解されることが多かったのだけど、実際はドライバー一本で、プラモデルを組み立てるよりも遥かに簡単な工程で組み上げることができるという単純な世界だったのだ。
それでもただ作るだけではなく、その後で色々と設定を変化させることで、CPUやグラボのクロック数を大幅に上げることができたり、それによって高画質な3Dゲームがグリグリ動いてくれたりと、なかなか楽しみの幅もひらけていたように思う。

 

当時の僕は実生活、とくに仕事方面でうまくいっておらず、社会人として成長していけていないというもどかしさを、PCをアップグレードすることで解消していた。PCがパワーアップする度に、なんだか自分がどんどん強く成長していっているような、そんな疑似的な体感を得ていたのだと思う。
そう、あの頃の僕にとって、自作PCは全てだった。
仕事で辛かった時は、新しく登場したナイスなCPUのことを考えてやりすごした。恋愛で失敗した時も、最高級のグラボを思い切って買うことで気持ちを切り替えることができた。
僕にとってPCは、単なる道具などではなく、自分の分身だったり、世界の理想だったり、崇拝するべき偶像ですらあったような気がする。

 

なのにいつから、僕にとってのPCは、ただのネットワークにつながっているだけのダム端末に成り果ててしまったのだろう。
今、目の前にあるこの壊れてしまってうんともすんとも言わなくなってしまったPCを見ていると、不思議な気持ちになってしまう。
おそらくそうなってしまった背景には、スマホの登場や、ゲーム専用ハードの進化だったり、それ以外にも色んな要因が隠れているのだろう。一番大きいのは、PCの使用用途がネット上の様々なサービスの方へシフトしていってしまったことだったりするのかもしれない。
とにもかくにも、PCに対してワクワクするような感じが今はまるでなくなってしまったことに、とても残念な気持ちにさせられる。
パーツを交換するためにPCの蓋を開ける時の、あの胸が打ち震えるようにときめく感覚を、もう一度味わってみたい。そう思いながら、もうそんな時代は来ないのだろうなという気も同時にしている。