坂本から君へ

さかもとのブログ。自分語りとか世間話とか。大阪にいる。

たかが、お金

お金とは、なんだろうか。

 


若い頃の僕は、お金とは、自分自身の価値を周りの人々に示すためのツールだと思っていた。
ロールプレイングゲームで経験値を貯めるとレベルが少しづつ上がっていくように、昇給や転職の度に給与明細の支給額が上がっていく。それを目にする度に、なんだか自分が強くなっているような、成長しているような感触を肌で味わっていたものだ。
ところが、ある一定の時期を過ぎると、だんだん給与が上がらなくなってきて、それに伴って自分の成長も止まってしまったように感じることが多くなってきた。
これは会社を通して稼げる金額がいよいよ限界に近づいてきているのではないか、そう感じた僕は、それならば会社の外でお金を稼げばいいんじゃね?と考えるようになった。
今はパソコンとネット環境さえあれば、だれでも気軽に自分でお金儲けを始めることができる時代だ。そう考えた僕は、アフィリエイトや投資でお金儲けをすることに頭を使い始めた。

 


アフィリエイトには色々なやり方があるが、一番理想的なやり方は、スマホやパソコンの前にいる人々が知りたがっている情報をこちらから提供して、その流れの中で自然に広告を踏んでもらうという方法だ。
しかし残念なことに僕は、誰かに提供できるような特殊な知識やスキルを持ち合わせていないので、誰にとってもどうでもいいような情報をただ羅列しただけのゴミサイトを作ることしかできなかった。
けれども、そんなゴミサイトを山のように量産していくことで、そこそこまとまった量のPVを得ることができたのだ。やがてそれらのサイト群から、馬鹿にできない量の収益が発生するようになった。
次に僕は、そこで発生した収益を元手に、投資を始めてみることにした。株よりFXの方がわかりやすいので、ひとまずはFXを気軽な気持ちで始めてみた。どうせあぶく銭、ダメでもともとのつもりで適当な売り買いを繰り返していく。そこでの僕は、一瞬で自分のお金が増えたり減ったりしていく様をただ傍観者のように眺めていることしかできなかった。

 


僕は一体何をやっているのだろうか。
誰かの役に立つわけでもない大量のゴミサイトを量産し、それによって得た収益で、今度はギャンブルの真似事に興じている。
そもそも、僕は何がしたかったのだろう。自分を強く見せるために、そのバロメータとなるお金がたくさん欲しかったのだった。けれどもそんな手段でお金を増やしても、本当に自分が強くなったことになるのだろうか。そして、そもそもお金なんて、とどのつまりは、ただのデータではないのか。極端な話、銀行の中にある、どこかのサーバーのハードディスク上の、僕の銀行口座のデータの数値が、日々書き換わっているだけにすぎない。そのことに対して、自分が強くなったとか、成長したとか、無理やり意味付けしてきただけなのではないだろうか。
そこまで考えて、たかが金だよなー、と思うようになった。
結局のところ、お金と自分の価値を紐付けるようなことをしても、ただ虚しさが残るだけで、とても無意味なことだと思うようになった。

 


たかが、お金。そこに特別な意味なんて必要ない。
今一度、お金とは切り離したところでの自分の価値を、問いなおす必要があると最近は感じている。

誰がWindowsXPを殺すのか?

最近、会社のメールに、社外からよくウィルス入りのメールが送られてくるらしい。
この手のウィルスメールは、以前だったら、文面が英語だったり、一部怪しい感じの日本語で書かれていたりしたものだ。ところが、最近のやつは非常に自然な文面を装っていて、「見積書をご確認ください」だの「台風の対策について」など、取引先や同僚からのメールと勘違いしてうっかり添付ファイルを開いてしまいそうな雰囲気になっているという。
で、その話を聞いてふと思ったのは、これってもしかしてウィルス自体に自律型のAIが搭載されているのではないかということだった。

 

 

僕が予想するウィルス拡散の流れはこうだ。

①誰かがうっかりウィルスメールを開いてしまい、そのPC上でウィルス感染する。
②そのPC上でウィルスは、外部のWebから適当な時事ネタを拾ってきて、そこから自然な日本語での文章を生成する。
③さらにウィルスは、そのPC上に入っているアドレス帳から、メールアドレスを収集する。
④最後にウィルスは、自分で生成した文章を本文にして、 自分自身を添付ファイルにし、アドレス帳から取得した複数のメールアドレスに向けて、 無作為にメールを送りつける。

こんな感じかな。

これの繰り返しで、このウィルスは永遠に自分の子孫を増やし続けていくのではないかと思って、ぞっとしたきもちになってしまった。

メールの世界で機械に侵略されていく人間。まるでターミネーターみたいだ。

 

 

技術的にはこういう挙動をするウィルスを作成することは充分可能だと思うし、誰も気づいていないだけで、ひょっとしたらすでにそこらじゅうで起こっている出来事なのかもしれない。
PC側では、そういうことはできないようにOSのセキュリティアップデートで何重にも対策はとられているだろうが、世の中には無防備な状態でネットに繋がっているPCが数多く存在している。WindowsXPを搭載したPCのことなのだが、これって、中小企業なんかではいまだに現役で動いていたりする。また、そういう会社の社員はITリテラシーが低く、かなり高い確率でウィルスメールを開いてしまうだろう。
この種のウィルスがWindowsXP上で蔓延することで、いまだに世界シェア10%を誇るこの時代遅れのOSは、ようやく世界から駆逐されるのではないだろうか。

Webサービス作りたいマン(後編)

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前編はこちら

 

 

なんとなくで適当に作って公開していただけのWebサービスだったのだが、その開発記録を某技術雑誌で連載することになってしまい、意外な展開になってきたことに自分でも驚きを感じていた。
原稿を書き始める前に、まず担当編集者から「人に読ませる文章の書き方」についてざっくりと説明を受け、あとは好きなように書きたいことを時系列に並べてどんどん書いていった。もともと文章を書くのは好きだったので、途中でつまづいたりすることもなく、すんなりと三ヶ月分の連載記事を書き上げることができた。
目指したのは、「エンジニアですらない普通の人でも気軽にWebサービスを開発・公開できる時代が近づいている」ということを、読者に啓蒙することだった。
これについては、連載終了後の読者アンケートを見せてもらった時に、「勇気をもらった」「自分も何かを作ってみたくなった」的な反響が多く、ほぼ達成できたのではないかと思い、非常に満足していた。

 

 

雑誌での連載が終了して、その達成感からしばらくはぼーっとしていたが、そのうち元気がでてきて、なにかまた新しいWebサービスを作ってみたくなってきた。
その頃、自宅の近所にある図書館をよく利用していたのだが、そこの蔵書検索サービスが非常に使いづらいといつも感じていて、これ自分でなんとかできないものかと思っていた。いっそのこと自分で自分専用の蔵書検索サイトを勝手に作ってみたら面白いのでは?と思い、さっそく手を動かし始めた。
オリジナルの蔵書検索サイトから書籍データを何千件か取得してきて、それを自分の用意したデータベースに放り込み、そこから独自のユーザーインターフェースで検索できるようなWebサービスを作り上げた。
このサービス、正直に言うとあまり出来はよくなかったし、使ってくれるユーザーも非常に限られているので、アクセス的にはほとんどヒットはしなかった。

 

 

ちょうどその頃、僕が連載をやった雑誌の出版社から、こんど技術イベントを開催するので遊びにきてみないか?と声をかけてもらった。
Winnyを作った金子さん(故人)や、モバゲーをほぼ一人で作ったエンジニアの方が公演されるということで、とても興味を惹かれた僕は東京まで遊びにいくことにした。
そのイベントでは、閲覧者の中からライトニングトークの参加者を募集していたので、せっかくなので僕も前に出てプレゼン的なことをやらせてもらうことになった。
そのライトニングトークでネタにしたのが、例の図書館の蔵書検索サービスだ。人前で話をするのは苦手だったが、頑張って5分間のトークをやりきった。
その後でひらかれた飲み会で、僕のライトニングトークを見ていた人たちから色々と話しかけられ、それがきっかけで知り合いが何人かできた。
目のつけどころが独創的で面白いなどと言われ、おおむね評判がよかったので、頑張ってプレゼンしてよかったなと思うと同時に、自分の中で世界が広がりつつあるのを感じていた。

 

 

それから後も、僕はいろいろなWebサービスを作り続けた。
ツイッターをスキャンして、現在公開中の映画に関する評判を抽出して、ランキング表示するサイト。
クックパッドのレシピから、はてなブックマーク数が多いものを検索表示できるサイト。
他にも色々と自分でアイデアを出しては、試行錯誤しながら作り続けた。
最後まで完成せずに途中で頓挫したものもある。
なんとかできあがったものをリリースしても、たいしてヒットすることもなく埋もれていったものも多い。

 

 

そんなこんな色々とやっている内に、また例の雑誌で新たに連載をやらしてもらえたらいいかなと考えていた。
そうやって趣味の世界で、普段から思いついたアイデアを形にし続けて、その過程を記録してメディアで公開し、いずれは本という形で出版できたら最高だなと思っていた。
そうすることで自分が有名になって、周りからすごい人だと思われてとか、そういった名誉欲からきている訳ではなく、ただ単に、純粋にプログラミングに興味を持つ人を増やし、もっともっと面白いものが出てくる世の中にしていきたいという気持ちが強かった。
大げさかもしれないが、それが、僕がこの世の中に残せる唯一のものなのかもしれないと、当時は思い込んでいた。

 

 

そんなことをしていたのが、もう7、8年前のことだ。
残念ながら、今の僕はそういう活動は全く行っていない。
なんというか、僕はもう人が変わってしまったのだ。
世俗にまみれた僕は、わかりやすくいえば金儲け主義に毒されてしまっているような気がする。 世の中がどうとか、そんなことはどうだっていい。金こそ全て。 儲かればなんでもいい。どんな汚いことでもする。それこそ人を欺いてでも。
歳をとるということは、そういうことなのかもしれない。とても残酷な現実だ。

 

 

ただ、時々思い出す。
あの頃の僕は、とてもピュアで、崇高なことを考えていたな、と。
ああいう自分がいたんだな、輝いていたんだな、ということだけは、いつまでも忘れずにいたい。せめてそう思う。
僕の心の中にいる、Webサービス作りたいマンは、今でもすごい存在感をはなっているのだ。

Webサービス作りたいマン(前編)

その昔、個人的な趣味でWebサービスを作って世間に公開するのが流行った時期があった。
phaさんのホッテントリメーカーとか、他にも色んな人が色んなサービスを楽しみながら作ったり、できあがったもので遊んだりしていた。
僕も当時その流れに乗って、何か面白いものを作ってみたいなと漠然と考えるようになっていた。
最初は、mixiのようなSNS風のサービスを作って、たくさんのユーザーを集めて流行らせて…とか、大きな野望を抱いていたのだが、さすがにそれは作るのも拡散させるのも難しいということにすぐ気づく。
そこで、次に考えたのが、ネットから面白そうな情報を自動で拾い集めてきて、それらを整理した形で表示してくれるタイプのサービスだった。その程度の規模であれば、わりとさくっと作れそうだし、作ったものが面白ければすぐに口コミで人が集まってきてくれそうだなという読みがあったのだ。

 


そんなことを考えていたある日、たまたま友達とカラオケに行くことがあり、そこで面白いカラオケ機能を目にすることになる。
ユーザーが年代を指定すると、その年代に流行った曲の一覧が表示されて、その中からカラオケをリクエストできるというものだ。
「1990年」と指定すると、「愛は勝つ」とか「今すぐKissMe」とかの曲がずらっと画面に出てくるようになっていて、学生時代に流行った懐かしい曲に再会できて、それだけでノスタルジーにひたることができたのだ。
その時にふと、この仕組みをYouTubeにあがっている懐メロ動画で実装したら、面白いものができるのではないかとひらめいた。
パソコンから年代を指定することで、それに応じた懐メロ動画がずらっと一覧表示されるシステムを、Webサービスとして作ってみたい。
そう思い始めた時には、もう手が動きだしていた。

 


このWebサービスを作っている時は楽しかった。
普段は、仕事で堅苦しい金融系業務アプリをメンテナンスしている自分にとって、自由に自己表現できる世界だったし、最高の息抜きタイムだったのだ。
さらに仕事での僕は、COBOLやJCLなどの大昔からある枯れた技術体系の中で泥臭いことをやっていたので、最新のWeb技術に触れることはとてもとても新鮮で、興味深いことの連続だった。

 


根本的な仕組みの部分はすぐに完成して、あとはデザイン周りを調整している時に、なにか物足りないなと思い、Amazonから懐メロ動画に関連した広告を取得して表示させるようにした。他にもなにかできないかなと思案して、今度はWikipediaからアーティスト情報を取得して、一緒に表示させるようにしてみた。
こんな感じで、Web上に散らばっている様々な情報を、うまく組み合わせて一つの形にして提供する手法のことを、当時は「マッシュアップ」と呼んでいた。

 


まもなくそのWebサービスは完成し、当時やっていた自分のブログでリリース連絡を出し、あとは特に宣伝らしいことは何もしなかった。
でも、たまたま目に触れた人たちの間で徐々に口コミで広まり始めているのを感じていた。
このサービスは、一定の年齢層からは強く支持されるだろうなと予想していたのだが、ずばりその通りになっていった
しばらくして、ある日を境に爆発的にアクセスが増えたことがあって、原因を調べてみると、このサービスが、とある技術系の雑誌にWebアプリケーションのサンプルとして取り上げられているということがわかり、とても驚いた。
今までWebアプリなど作った経験のない自分が、見よう見まねで色々やってきて、今度はそれがWebアプリのサンプルとして取り上げられるまでになったということが、驚いたし、なんだかとてもうれしかった。

 


ほどなくその雑誌から、僕のWebサービスの開発記録を連載記事の形で書いてもらえないかというオファーがきた。

 

懐メロ動画のキュレーションサイトという、わりかしどんな人でも興味を持ちそうな内容であること。
YouTubeAmazonWikipediaという、当時メジャーだったサービスをマッシュアップしているという、わかりやすさ。
それらを、Webエンジニアではなく、時代遅れといわれるメインフレームのエンジニアが独学でWebの技術を学びながら作り上げたという点。

 

メディアで取り上げるには好条件がそろっていると、その雑誌の編集者から言われた。
そうは言うものの、自分みたいなWebの世界では素人同然の人間が、そんな偉そうに記事など書いてもよいのだろうかと不安を口にすると、その編集者はだいたい次のようなことを言った。

 

「すごい人がすごいプロダクトを産み出すのは当たり前で、それではなにも面白くない。
普通の人が技術の力を借りることで、いとも簡単に大勢の興味をひくものを作り出すことができるという事実。これを世の中に広めたい。」

 

なるほど、と思った。
そして、ぜひ書いてみたいと思った。
自分がメディアで表現することで、なにか少しでも世の中に影響を与えることができるとしたら、やってみたい。そう思っていた。

 


後編につづく

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おかしな婚活サイト

nakazye.hatenablog.com

 

 

こちらのエントリを読ませていただいて、昔自分が使っていた婚活サイトのことをふと思い出した。

 


通常こういった「男女の出会い」を目的としたサイトは、入会すると最初に自分のプロフィールを登録させられて、次に希望する交際相手の年齢なり趣味なり職業なりで検索をかけ、その中からめぼしい人を見つけ、メールでの交際を申し込むといった流れになっている。
僕が使っていたサイトは、そのあたりが少し異なっていて、サイトの表向きは「性格診断サイト」という形になっていたのだ。
当時の僕は、かなりメンタルをやられていて、自分についてよくわからなくなっていた時期だったので、グーグルでいろいろ人間の性格のこととかについて調べてる内に、そのサイトにたどりついたのだった。
そのサイトに入って、いろいろと出される質問に答えていくと、最後に「あなたは○○タイプです!」というふうに、類型化を行ってくれる。
そこで、「なるほど自分はこういう人間なのかー」と納得して終わりではなくて、さらに「○○タイプのあなたは、××タイプの女性と相性がいいですよ。その理由はこうで…」という風に、理想の交際相手のタイプを教えてくれるようになっている。
そしてさらに、「××タイプと判定されている女性がこのサイトに○名登録されています。あなたにおすすめの方をリストアップします!」といって、頼みもしないのに勝手に交際相手をレコメンドしてくれる。
そして最後に、「もしよろしければ、どなたかとコンタクトを取ってみませんか?」というふうにすすめてきて、そこから女性とコミュニケーションを取ろうとする段階で、初めてシステム利用料がかかるという流れになっていた。

 

 

この、一見「性格診断サイト」だと思わせておいて、実はサイトを利用している男女をマッチングさせていくという仕掛けが、不自然だと感じさせないような流れで実装されていて、よくできているなと当時は思っていた。
「婚活サイト」というと、「うっしゃーいっちょ気合い入れて結婚相手みつけるぞー」とか、意気込んだ感じの人が多そうで、なんかげんなりしてしまいそうだが、そういう場所から遠く離れた感じの導入から始まっているので、あんまり肩肘張らずに気の合う女性を探すことができたように思う。

 


残念に思うことは、そのサイトを使っていたのはもう10年以上前のことで、今はもうサイトが消滅してしまっているということだ。
あまり人に話したことはないが、妻とはそのサイトで知り合った。

夏の葬列

毎年、こんなふうに夏の暑い時期になると、決まって思い返すことがある。
あれは僕が二十代の後半にさしかかった頃に起きた事だから、かなり以前の話になる。
当時勤めていた会社で一緒に仕事をしていた先輩が、ある日急に亡くなったのだ。
 
 
当時のその職場は、大規模なプロジェクトのカットオーバーを数カ月後に控えて、常に慌ただしい雰囲気の中で時間が流れていた。誰もが自分のことで精一杯で、他人のことを思いやる余裕なんてなかった。
その先輩とは、普段からそれほど親しくしていた間柄ではなかったのだが、それでも同じ会社の先輩後輩ということもあって、それなりに頼りにしていたし、それなりに可愛がられていたように思う。
ある日の夜遅い時間帯のこと、僕は残業を終え、ようやく家に帰ろうとして支度をしていると、卓上電話が鳴り出した。
受話器を取ると、あるお客さんからかかってきたものだった。件の先輩に取り次いで欲しいと言われたので、僕は何も気にせずに、まだ職場に残っていたその先輩に受話器を渡して、そのまま帰路についた。
 
 
翌日の朝、普通に出勤して仕事をしていると、しばらくしてその先輩がまだ出勤していないことに僕は気づいた。でも、きっと体調不良かなにかなのだろうと思い、さほど気にせずに仕事を続けていた。
お昼が過ぎた頃に、急遽、職場にいた全員が別室に集められて、マネージャーから意外な話を聞かされることになった。その先輩が昨晩亡くなったこと、原因は不明であること、お通夜が今晩行われること。
あまりにも突然のことだったので、僕にはその意味がうまく飲み込めなかった。なにか交通事故のようなものに巻き込まれたのだろうか?でも、それにしては原因について、なにか奥歯にものがはさまったような言い方をしていたので、釈然としなかった。そしてしばらくして僕はそこから、うっすらとした何かを感じとっていた。先輩の死の原因に対して、深く突っ込んでいはいけないという、空気のようなものを感じていた。
 
 
お通夜には、大勢の人が集まっていた。職場の関係者が合わせて100人ほど来ていただろうか。彼らは終始無言で、先輩の死因について語るものは誰もいなかった。腫れ物に触るような雰囲気の中で、粛々とイベントが進行していく。今考えても、奇妙な集まりだったと思う。
お通夜に続いて葬儀が終わり、翌日からの職場では、先輩がいなくなった後の仕事の段取りについて話し合われ、残された者達の間で整理・共有されていった。そのどれもこれもが、先輩の存在をこの世から消し去る作業だ。それらが、滞り無く行われていった。
 
 
結局のところ、先輩の死因については、ただ単純に「事故」ということで処理されることになった。いったい何の事故なのかという具体的な内容については、最後まで公になることはなかった。
その後しばらくして、会社の全社員に対して、心理カウンセリングの名目でアンケートのようなものが一斉に実施された。仕事上やプライベートでなにか深刻な悩みを抱えている者がいないかどうか調査が行われたのだ。このタイミングでこんなことをやるというのも、なんともデリカシーのない会社だなと思って僕はあきれた。
 
 
その頃、僕がよく考えていたことは、先輩が亡くなる前日の夜の、あの電話のことだった。
あの時の自分に、なにかできなかったのだろうか。
客先からかかってきた電話に対して、「彼はもう帰りましたよ、また明日連絡させますね」とでも言って切ってしまえばよかったかなとか、その後に「最近しんどいですよね、ちょっと飲みに連れてってもらえませんか?」ぐらいの感じで、先輩に声掛けでもしていればよかったのだろうか。そうすることで、何かが変わったのだろうか。
いまさらそんなことをしても何の意味もないとわかっているにもかかわらず、当時の僕は何度も頭の中でそういうシミュレーションを繰り返していた。
 
 
そういった後悔の感情は、日が経つに連れて薄れていき、かわりに僕の心の中を満たしていったものは、死に対する不安の気持ちだった。
最後に先輩と接した時のことを、いくら後で思い返してみても、いつもとかわらない様子だったとしか思えないのだ。
とてもではないが、これから死を決意していたとか、そんな様子はみじんも感じられなかった。
死というものは、いつでもそしらぬ顔をして僕達の周りにいるのではないのか。すくなくとも、今生きているという事実の真逆として、死があるわけではないのだ。
普段と変わらない日常の中で、ある時、なんの前触れもなく、突然人が、自らの自由な意思でもって、あちら側に旅立ってしまうということ。それをただ黙って見送ることしかできない、こちら側にいる人たち。
あれから15年経った今でも、ときおり職場の机の影からそっと顔を出してくる死の匂いとでもいうべきものに、僕はずっと怯え続けている。
そしてこれからも僕はそんなふうに、漠然とした他人に対する死の不安を抱えながら、生き続けていくことしかできないのだろう。あのひどく暑かった、夏の日の葬列の記憶と共に。

はじめてのオフ会

今から20年ほど前、インターネットが一般家庭で普及を始めた頃、僕は自分でホームページを作ってWEB上に公開していた。
これはかなり悪趣味なホームページで、当時の海外サイトから集めてきた大量の死体写真と、気違いじみた自分の文章を組み合わせて、前衛芸術のような感じの作品を目指して色々と表現していた。普通に常識のある人が見たら、間違いなく目を背けたくなるような、ゴア表現の強い作品群だった。
なんでそんな妙なことをやっていたのかというと、その頃の僕はまだ若く、世の中の全ての物事に対して憎悪のまなざしを向けていた時期だったからだ。そういう時期に、自分の中にあったもやもやしたドス黒い悪意を、世界中に対してぶつけてしまえる手段があったというのは、ある意味では救いだったように思う。

 


かなり悪趣味の強いホームページだったにもかかわらず、それでも面白がって見に来てくれるような人がわずかながら存在していて、そういう人たちからの応援のメールを読んだりするのが当時は楽しかった。
その中に、新作を公開する度にいつも励ましのメールをくれる女性が一人いて、やがてその人とよくメールのやりとりをするようになった。
こんなホームページを好きになって見に来てくれる女性なんて絶対にイカれている。そう思いながらも、どんな人なのかとても気になるようになってしまった。住んでいる場所も近かったので、一度会ってみようという話になって、本当に会うことになった。

 


待ち合わせの場所に行くと、そこには今まで出会ったことのないタイプの女性がいた。
年齢は同い年くらい。髪型はなんか長くてもじゃもじゃした感じ。ピアスの穴が多い。
なかでも特に目をひいたのは、二の腕に大きな裸の女神の刺青をしていることだった。
「その刺青すごいなぁ。」
「あぁ、これ?あたし父親が彫り師してるから、こういうのまったく抵抗ないねん。」
二人で喫茶店に入って、他愛もない話ばかりしていたような気がする。彼女がデザイン関係の仕事をしていたので、そっち方面の話をしていたように思うが、とにかくとてもよく喋る女性だった。なにか、生き急いでいるような感じがした。

 


その日は普通にお茶をして別れたが、ネットを通じて知り合った人とリアルで接触したのはこれが初めてのことだったので、とても新鮮な気持ちだった。
それまでの僕は、自分と似たようなタイプの人間ばかりが寄せ集まって構成されている社会で生きてきたので、いきなりポンと目の前に現れた彼女のような人に対して、どう反応してよいのか正直よくわからなかった。
おそらく彼女は、普通に生きていたら絶対に知り合うことのなかったカテゴリに属する人だろう。そういう意味でも、インターネットは秩序だったこの世界を、いったんフラットにしてしまう可能性を持ったものなのだ。そんなことを、当時は考えていた。